サッカー人生振り返り「社会人編①」
6年間所属したSHIBUYA CITY FCを退団し、一つサッカー人生の節目なのでこれまでのサッカー人生を振り返りたいと思います。
『社会人編①』
東京海上に入社してから、サッカー部に入部しました。
厳密に言うと、4月にはリーグ戦がスタートするので、入社前の2月くらいから練習に参加していました。
とはいえ土日だけの活動なので、平日飲みまくって、お酒を抜くために健康のために、土日くらいはサッカーやるかくらいに思ってました。
ところが、続けていくうちに本気になってきてしまいました。
当時監督の所賀さんという方に男として惚れてしまったからです。
この人に喜んでもらいたい。この人に認められたい。この人に褒められたい。
親を除いて、誰かの為にサッカーを頑張るということを初めて知った気がします。
多くのチームメートが所賀さんを中心に一つにまとまり、一体感のあるチームでした。
これまでのサッカー人生は、結局全ては自分のため。自分がプロを目指したり、進学や就職で有利になったり、モテたかったり。笑
でも、所賀さんの為なら、貴重な土日を使っても良いパフォーマンスをして、結果も出して、その為に平日の準備から良い努力ができました。
この一年で、所賀さんから社会人として「人の心を掴む」ということの大切さを学ぶことができました。
それは簡単なことではなく、今も道半ばではありますが、信頼・尊敬・慈愛・共感など色々な要素を必要とします。
話を戻します。
この年は結局、チームは東京都一部リーグ優勝、僕個人は東京都ベストイレブン。
昇格をかけた関東大会は準決勝で敗退して、あと1勝のところで昇格を逃しました。
社会人サッカー歴も9年になりましたが、この敗戦は社会人サッカー人生の中でも一番に泣いた記憶があります。
泣き終わった時には「社会人サッカーでもこんなに熱くなれる自分がいたんだ」と驚きました。
一方で2,3年目は監督が変わり、そのモチベーションを維持出来ませんでした。
土日にグランドに行くのも憂鬱で、「何故自分は週末にサッカーしてるんだ?」と試合中に考えてしまうことも。
ちょうど転職も考えていたタイミングで、土日に勉強したり、人に会ったりして、自分のキャリアに繋がる活動をした方がいいのではないかと思ってました。
それでも、サッカーを続けて来れたのは同期の仲間がいたからです。
特に、早慶戦でも戦っていた早稲田の10番エース秋岡、入社から会社を辞めた今でも仲良し関大の至宝ハマチ。
仕事やサッカーのことで、色々と話して笑って飲んで騒いで歌って?彼等のおかげで楽しく3年間やりきりました。
転職が決まっていたタイミングで、東京海上での最後の関東大会が始まります。
会社を辞めたら自動的にサッカー部も退部になるし、転職後は仕事を頑張りたかったので、このレベルでサッカーをするのは最後になるかもしれない。と、楽しんでプレーしようと臨みました。
何も気負うことなく、各都道府県の強豪チームと試合ができることが純粋に楽しくて、結果として準優勝。
本来であれば、昇格の権利があったのですがJFLから関東リーグへの降格が2チーム発生し、入れ替え戦に回ります。
その入替戦に敗退し、関東リーグの昇格を逃して、東京海上での最後のシーズンを終えました。
東京海上では、あと1勝のところで関東昇格を2回逃しました。
そのおかげで、SHIBUYA に移籍してから東京海上と試合できたので個人的には結果オーライなのですが。笑
そんな感じで、会社とサッカー部を去り、社会人サッカー第一章が終わります。
社会人後編に続く
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