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最終面接を、プロデュースしてください。

大学3年が終わるころ、周りに半年以上(もっと?)遅れをとってはじめた就職活動で、僕は2社だけ受けた。

1つは今いる会社、LITALICO(当時、ウイングル)で、もう一つは、アソブロックという会社。ほんとうは、アソブロックが僕の第一志望だった。

アソブロックがどんな会社か。今の会社HPにはこうある。

アソブロックって何をやっている会社なのか、と言われることがあります。実際のところ、私たちもアソブロックってなんの会社なのか、定義づけに困ることがあります。というのも、私たちにとっては「何をやる会社か」よりも「人が育つ場所か」のほうがはるかに重要だからです。人、それはアソブロックのスタッフに限った話ではありません。パートナーも、クライアントも、アソブロックに関わるすべての人が「育つ場所」であること。それが、アソブロックの存在意義です。ですから、最初の問いに答えるなら、アソブロックは「何をやっているかわからない会社」です。変わった会社だとお思いでしょうが、私たちにとって大事なのは、どうやったら「人は育つ」のか。すべての原点はそこにあります。会社のようで、家族のような。会社のようで、場所のような。アソブロックとは、そんな特定不明の集合体なのです。

※アソブロックHP

よかった。まだ「何をやっているかわからない会社」のままだった。

当時のアソブロックの仕事で僕が興味を持ったのは、幼稚園の課題を、デザイン的なアプローチで解決しようという取り組み。園歌を作ったり、園服をリデザインしたり。幼児教育の現場に対するアプローチとしてこんな方法もあるのかと驚いた。

ホームページには社員一人ひとりのイラストがあって、程よいユーモアと背後に感じる職人気質を「かっこいいな」と思った。

問題は、当時のアソブロックが新卒採用をやっていなかったことだ。社員は確か7人だった。僕はそれを知らないフリをして連絡を取った。

するとその当時、募集してないのに応募してきた変わり者の学生たちが他にもいたらしく、無理くり選考めいたステップを設けてくれた。よっぽど面白いやつがいれば、あるいは…ということだったのだろう。

一次面接、のようなものがあった気がする。その時の記憶はほぼないが、僕はおそらくそれを通過し、最終面接というステップに進んだ。ちなみにその年、最終面接を受けたのは僕を含めて2人だったようだ。

最終面接の連絡が来る。メールには、こう書いてあった。

「最終面接は1時間。場所はあなたが指定してください。社長がそこまで行きます。1時間の面接をプロデュースしてください」(というような内容)

なんだそれ、と思いながらも、こんなお題を出す変な会社を僕は選んで受けているんだ。と思うとワクワクしたのを覚えている。

いろいろ考えた挙句、僕は社長を鎌倉駅の江ノ電改札口に呼んだ。その理由はこうだ。

面接は向かい合って話すことが多いけども、僕はあれは苦手だった。あんまり顔とか見たくないし、こちら側とあちら側という「サイド」が生まれる環境設定は、良い会話には適さないだろうとなんとなく思った。

僕が話しやすいのは、横並びに座って、同じ景色を見ながら語ることだ。友よ、あの夕陽をの向こうには何があるんだろうな!みたいな。そんな環境が許されるのはどこだろう…

「電車の中だ」

となった。

電車の中で、座席に横並びに座りながら最終面接をしよう。部活帰りの高校生みたいな格好で、志望動機とか話そう。

あとは、何線にするかが問題だったが、1時間という時間を、片道に全て費やしてしまうことはできない。遠くに連れて行って、面接終わったからサヨナラというのは流石に嫌がられそうだ。そして1時間しっかり話そうと思うと、乗り換えが多いのは適切ではない。しかも、一応、確実に座れるようにしたいから、始発の出ている駅がいい。

いろんな線を調べているうちに、江ノ電の鎌倉〜藤沢間が約30分であることを知った。

こ・れ・だ。

鎌倉駅から出ている江ノ電に乗り、確実に席を確保し(もちろん鎌倉高校前駅で、海を眺められる側の)、藤沢で降りてまた折り返しの同じ電車に乗って戻ってくる。ちょうど1時間くらいで、待ち合わせ場所に戻れる。

当日、電車の中でどんな話したかはあまり覚えていないけれど、僕は、自分がやれることは、結構あると思う。みたいなことを言った。

最終面接の翌日、社長のブログには「うーん、アイデア賞はあげよう!」というようなことが書かれており、僕はそれを、不採用通知として受け取った。そしてその結果、今の会社に入ることになった。

あの不採用のおかげでいまがある、なんてポジショントークだろうか。だとしても、おかげさまで、たのしい人生でございます。

#就活 #就職 #キャリア #新卒

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