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【本と人の推薦】土に俯して生きる友人。

今回の記事はホテル全く関係ないよ〜!

都市のド真ん中でホテル業を営む私は、経済や他者との接触を突如断たれ金銭的にも精神的にも疲弊している。

しかし、奈良県大宇陀で自給自足の生活を企む彼は、相変わらず土や草、鶏や微生物といった人間だけでない多様な類と濃厚に接触している。


季節は春だ。
私たちは桜の下で集うことが叶わず、オンラインで飲み会を試み、なんとなくその新しさに一時的な興奮は覚えつつも、退屈と孤独に苛まれている。ゴールデンウィークは元より、夏や秋、年を明けても状況は変わらないのではないかという不安に心が晴れることはない。

一方、畑では土筆が出て、花が芽吹き、虫たちが蠢き始め、彼は胸が高鳴っているだろう。もう少し夏が近づけば足元に水生昆虫が集い始める...そんな賑わいの予感を肌で感じているだろう。
彼は今日も一人、数多の生き物と戯れている。

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「田舎暮らし」と言うと誤解されがちだが、環境に優しい生活を掲げた禁欲的な...ジジくさい生活を望んでいる訳ではない。彼は何よりも快楽を求めてそこにいる。

自分で作った米を炊き、採れたての鶏卵をぶっかけて頬張りながらコカコーラで流し込む。そんな奴だ。範馬勇次郎さながら生を謳歌している。

2018年、その生活を留めた「つち式」という雑誌を刊行した。

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ライフスタイルではなく、ライフ=生命そのものへ。
「生きる」という、今や比喩表現でしかないこの営みを、あくまで現実的に根柢から生き直そうとする試み。異種生物たちを利用し、異種生物たちに利用されながら成り立つ人間の生の本然を、より生きるための「ライフマガジン」。

「二〇一七年、わたしは米、大豆、鶏卵を自給した。このことで、わたしの中に何かが決定的に生じた。いわばこれはある種の自信である。社会的な、ではなく生物的な自信が。一生物としての充足感といいかえてもいい。わたしははじめて人間になれた気がした。何者かではなく、ひとかどのホモ・サピエンスに。」
 ――49頁 「米、大豆、鶏卵(、大麦)」より

衝撃だった。
十全たる生の日々を見せつけられ、自分は弱者ではないかと眩暈がした。
私はこれでも面白いことをしている/目指して進んでいる自負は多少なりともあったのだが、打ち砕かれた。土俵が違うから競いようもない。
根本的に強く圧倒的に面白い土俵に彼は立っている。

都市で生計を立てている私達の社会が停滞し、なんとなく「生きる力」に疑いを持ってしまった今、本書は一つの道筋を示してくれると思うので、改めて推薦したい。
無論、いつだって十分にブチ抜くほどの威力があるのだが。

別に私は畠生活を斡旋したい訳ではないし、今の所は自身でもやるつもりはない。

ハイブランドを身に纏い、Blanky Jet City を爆音で鳴らしカマロを走らせ、都心で快適なシティライフを味わいたい。ホテルというブランドを0から作り育てることにワクワクしているし、自身の生き方や社会に希望を持って暮らしている。

だけど、彼の生活が私の生活よりも快楽に満ち溢れていることを、普遍的で新しく、魅力的であることを否定できない。

そして何より、この世にまだこれほど面白いものがあるのだとを教えてくれたことに言葉にならないほど感謝している。

皆さんにもこの「すごいもの」を知って欲しい。
と云うことで、蛇足ではあるが興味の足掛かりとして映像を作った。雑誌の中から一部を抜粋し、朗読している。

興味が出たらまずは本をポチって欲しい。


【補足①】
下記は文化人類学の奥野克巳さん(著書=『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』)による書評。

【補足②】
奈良もコロナウイルスの感染が増加している。彼も完全なる自給自足を行っている訳ではなく賃労働も行っている。その点に於いては全く影響がないとはいえない。が、彼の本軸の活動である「自然」という社会は何一つ変わらず進行している。

【補足③】
私は雑誌制作に全く関わっていないのだが、駄々をこねて勝手に絡んでいたところ、2刷目からはクレジットが入っている。

-初版 2018年4月9日創刊-
写真/文  東 千茅(主宰)
写真/意匠 西田 有輝
編集/文  豊川 聡士
編集    石躍 凌摩
主宰補佐  間宮 尊


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