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中途半端な自信でも持たないと脱サラできなかった
消防士だった頃、脱サラしてもやっていける自信がまったくなくて鬱々としていた時期がありました。
自信が満ちてくるのを待っていましたが、いっこうに自信は増量される気配はなく、このままでは脱サラできないまま定年を迎えてしまうと考えて、一歩を踏み出すことにしました。
今、振り返ってみれば、中途半端なままでも「自信」を持たないと進まなかったんだな、と思います。
脱サラ礼賛という話では決してなくて、ただ自分自身の経験を書きたいと思ったので、書いてみます。
人間関係も家庭環境も順調だったのに疲れていた日々
私は2011年の春に、32年間勤務した消防局を早期退職しました。
退職しようと考えはじめたのはその4年前ですが、心の中で脱サラを決めたら、気持ちが落ち着いてきました。
それまでは、毎日疲れ加減でした。
毎日がとても憂鬱でした。
脱サラしてライブや講演で食べていけるなんてことは、到底無理だと考えていました。
それまでは、非番の日にやるライブでストレス解消できていたのに、ライブにも出たくなくなり、仕事にも行きたくなくなりました。
普段どおりギャグも飛ばせるし、ステージでもちゃんと笑いを取っていましたが、心の中はどんよりと曇っている感じでした。
大爆笑のウケを取っても、ちっとも嬉しくなくなって、「俺がやりたいのはこんなことだったのか」と、ふと思うことがありました。
次男はまだ高校生で、まだ妻も鬱にはなっていなかった頃でした。
職場の人間関係も良好で、家庭的にもなんの問題もなく、決して世をはかなんだつもりなどありませんでした。
ヤバイ!俺、限界かも
当時は、地元ラジオ局の番組に隔週で出してもらっていました。
勤務明けで行くことも多かったのですが、当時は山陰道もまだなく、片道1時間20分くらいかかりました。
その帰り、国道を走っていると、なぜだか対向車線の大型トラックの方にハンドルを切りそうになりました。
「おいおい、待て待て、何考えてんだ俺は!」と頭を振りました。
対向車を、特に大型車両を見ると、無意識にハンドルを切りそうな気がして、大声で歌をうたって気持ちを紛らわそうとしました。
救急隊員として今まで何度も実際に目にしてきた、大型ダンプに正面衝突して、ダンプの下にめり込んで潰れた普通車の映像が蘇りました。
ハンドルをクイッと5度ほど切ると、ああいうふうに一瞬で車も人もスクラップ状態になるんだなぁ、と意識はそっちばかりにいくようになりました。
気がつくと、必死にその誘惑に耐えようと歌っていたつもりが、大声で叫びながら運転していました。
家にたどり着くと、そんなことまるで嘘だったように、平静な自分に戻っていました。
そんなことが何度か続きました。
当時は、定年の60歳まではまだ10年以上もあり、住宅ローンや教育ローンも残っていて、次男が進学すればさらに教育ローンの額は大幅アップしてしまうことは避けられない状況でした。
ライブ活動も、最終的に自分はどこを目指しているか分からず、アマチュアでもプロでもない中途半端な状態でした。
職場では、ライブ活動やメディアに出ることが上司の気にさわっているようで、具体的な批判は受けないものの、腫れものを触るように扱われている気配を感じていました。
昇任試験のあとに直属の上司から
「俺は君を一番に押したが、局長がどうしても君の音楽活動が気に入らんみたいで、通らなかったよ」
と伝えられました。
しかし、それを苦にしたわけではなく、「昇任すれば音楽活動がやりづらくなるだろうから、かえってよかったかも」くらいに考えていました。
上司のために仕事をしているわけではないし、評価されないことは不愉快には違いないが、そんなことで落ち込むような自分ではないと思っていました。
別の場所に自分の居場所があるのでは
その一方で、別の場所に自分の居場所があるのではないか、と考えるようにもなりました。
今になって思えば、自分の精神状態が出口のない状態だと感じていたようです。
消防の仕事自体にはやり甲斐は感じているものの、それでも満たされない気持ちがありました。
交通事故現場で、若い世男女が即死している姿を目にすると
「俺は、このままでいいんだろうか?
このままで後悔しないだろうか?」
そう何度も自問しました。
「このままでは壊れてしまうかも」
そう思うようになりました。
「どうなったら自分は脱サラしてもやっていけると判断できるんだろうか?」
そう考えてみました。
資格試験で合格して、何かの業務をやっていくならば、明確な転機になるだろう。
しかし、自分のやりたいことには、当然ながらまったくなんの保証もない。
ギターの技能試験があるわけではなく、作詞作曲のレベル試験があるわけではない(あったら到底無理でしたが(笑))。
講演内容の審査があるわけではない。
在職中、副業的にやってみて、ある程度の収入を確保できていれば、迷わず決断できたかもしれません。
しかし、消防士は公務員。
副業はできません。
けっきょく、自分で決めない限りは、誰も「スタート!」を言ってくれないんだ。
そんな当たり前のことを、あらためて整理して考えてみました。
その後、同じ署に勤務していた先輩が、もうすぐ定年という時期に癌になり、数カ月後に亡くなったのをきっかけに、ようやく具体的に退職に向けて進めることを決心しました。
当時の自分に言ってあげたいこと
今の私が、悶々としていた当時の自分に会えるなら、言ってやりたいと思います。
「心配せんでもいいよ。なんとか生活もできて、食べることに困ることはなくなったから。中途半端な自信でもかまわんよ。今、そのままで自信持ったらいいぞ」と。
もしも、当時の私と同じように、気持ちのどこかで答えは出ているのに、自信が持てずに鬱々とした毎日を送っている人がいたら、同じように言ってあげたいと思います。
中途半端なままでも「自信」を持ちましょう。
完璧にならないと「自信」を持てないとしたら、誰も自信なんか持てませんよ。
自分がまず自分を信じてあげましょう、と。
今の私は、自信の量は増えたけど、もちろん今でも完璧ではありません。
今でも自分に言っています。
「中途半端でもいいじゃん。絶対の自信なんて持ったら、そこで成長は終わるぜ」と。
もしサポートしていただけたら、さらなる精進のためのエネルギーとさせていただきたいと思います!!