対話型鑑賞イメージ1

他者と鑑賞する価値について

「対話型鑑賞とか、自由に観て良い、が流行りの昨今 でもそれで終わりでいいの?とは常々思う」

と言うツイートを目にした。私も、自由に観察し、意味づけすることが必要だと思っているが、自分勝手に観るだけでいいのだろうか。

重要なのは他者と観ること

私は、観る感覚を磨く為には他者の存在が重要であると思う。1人で観る力を研鑽していくことはできるが、そんなに時間も頭のメモリも余裕がない。なので、他者と一緒に観るということが効率的で、大切なことなのである。

ここに読んでいた本から拾ってきた文章の一部がある。

〜〜。優れた鑑賞者がいるからこそ、制作者も切磋琢磨できる。ロシアから世界的に活躍するピアニストたちが多く出現する理由の1つは、聴衆に聞く力があるからだと思います。(翻訳者後書きから一部抜粋)

「どこからそう思う?学力を伸ばす美術鑑賞」フィリップ・ヤノウィン 著,京都芸術大学アート・コミュニケーション研究センター 訳,淡交社

ここで私が推したいのは、「優れた鑑賞者がいるからこそ、制作者も切磋琢磨できる」と「聴衆に聞く力がある」と言う部分である。


この優れた鑑賞者がいるからこそ起きる良い結果が、「自由に観て良い」のあとに繋がる部分であると思う。

自由に観たからどうするのかでは無く、社会全体で観る力を上げることで、その文化や社会・集団に文化的付加価値を付与することができるのである。


そして、「聴衆に聞く力がある」と言う部分である。

ここで重要なのは、「聴衆に聞く力があるから、ロシアから世界に認められるピアニストたちが多く出現している」と捉えられることだ。

「ロシアから世界に認められるピアニストたちが多く出現しているから、聴衆に聞く力がある」わけではないのだ。

また、「聴衆」と言うところがポイントであると私は思う。


「聴衆に聞く力がある」ことの重要性

ここで私が主張したいのは、聞く力を持っているのが優秀なピアニストだけでなく、聴衆にあるという点である。

何が言いたいかと言うと、他者の手助けがあるおかげで個人が高められているのではないかと言うことである。

ソ連の心理学者であったヴィゴツキーの発達の最近接領域と言う考え方を使って簡易的に図式化したものが以下である。

名称未設定アートワーク 10

ここで言いたいことは、ロシアには多くの人が存在しているということである。どんな多くの人かというと、他者と自由に聞くことを楽しめる人である。

そしてそれは、相互作用的に手助けし合いながら個々の能力を高めていけた背景なのではないかと言う仮説である。

わかりやすくまとめると、多くの人々が音楽を日常的に楽しんでいたことによって、個人の聞く力の範囲が広がっていった。そしてそこには相互作用的に高めあい、共に音楽を楽しむ文化があったのではないかと言うことである。よって、ロシアからは優秀なピアニストが多く出現しているのである。

よく観ることも、よく聞くこともそれは個人のスキルであるが、社会や共同体全体でそれをすることによって個人の範囲では無く、全体でレベルを上げれるのではないかと言うことである。なので、他者と観ることが重要なのである。


結局、自由にみてどうなるの?

自由に観ること、自由に聞くことでどうしたいのか。どうなるのかが今日のテーマの最初であったが、少しずれてしまったかもしれない。

あくまでも、プロセスを重視するからこそ、自由に観ることに価値があると考えるからである。

もしかしたら、その結果が優れたピアニストを多く輩出することのできる環境を生成することかもしれないし、良いものをみんなで分かち合えることなのかもしれない。





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