外部環境をうらむヒト
友達が実験に協力するらしい。
キャンパスを間違えて、移動時間が一時間半になってしまったみたいだが、これは他人のせいだと言えるだろうか。
自分の申し込み打ち間違いによって移動時間が伸し、自分の確認不足によって予定が確定して変更不能になったのではないか。振り返るとそのようなことがわかる。
しかしながら、人間は自分が悪いとは無意識レベルで思うことができない。
「縄を恨む泥棒」という言葉がある。泥棒は盗みを働いて、お縄についている。お縄についているのは誰のせいだろうか、それは泥棒自身のせいである。泥棒が悪事を働かなければ、捕まることはないし、縄に縛られて苦しむこともなかっただろう。
縄は外部環境で、縄自体が悪いわけでは無いのである。これは縁とも言われている。
縄、つまり縁は使い方次第で、良い使い方もできる。自分の行為によって、外部環境と結びつき良い結果が起きるのである。
そのようなわけで、縄を選んだ自分に非がある。
では、日常生活でどれほど良い行いをおこなっているのか、自分で内省する時間を夜に作ることもいいだろう。そうすることで、自分が明日、何を意識して行動するべきかわかるはずである。
しかし、ここで気をつけなければならないのは、自分のせいにして攻め過ぎてもダメだということである。自分のせいにし過ぎると自己嫌悪に陥ってしまって明日への活力が損なわれてしまう。あくまで反省するのであり、改善できる部分を意識して明日には治せる養分を残して行動する。
また重要なのは、縄自体は変えることができない。自分自身は変えられる可能性がある。自分自身は変えることができる、と考えることで気が楽になることは間違いないし、相手を責めることもなくなるだろう。人間関係が円滑に進む。
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