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出産の話

出産をした。出産は2度目である。
先日、1ヶ月検診も終わり、母子共に健康だったので、一安心した。子宮も元の大きさに戻ったそうだ。妊娠すると、通常、卵くらいの大きさの子宮が9ヶ月くらいかけて、胃を圧迫するくらいまで大きくなるのだから、不思議だ。そして、産後、1ヶ月くらいかけて小さく戻っていく。自分の身体の中で、そこまで大きさを変化することができるものは、子宮くらいしかない。出産は、交通事故にあったくらいのダメージがあると聞いたことがある。子宮は小さく戻っても、体が完全に戻るには、一年くらいかかるらしい。

出産は、人それぞれ色々な形があるし、痛みの感じ方なども人それぞれなのだと思う。私は、第一子、第二子ともに、陣痛からの普通分娩だった。人によって、破水からというパターンもあるし、予定的にあるいは緊急で、帝王切開になる場合もある。また、無痛分娩という選択肢もある。どんな形であれ、出産には変わらないし、どれでもハードであることは変わらない。

普通分娩の場合、出産予定日があるものの、いつ生まれるかは、生まれるまで分からない。妊娠37週から41週の間が正期産と呼ばれ、一般的にこの期間のどこかで生まれる。出産予定日は40週にあたる。そんな知識も妊娠を経験するまで知らなかった。妊娠が分かる頃にはすでに妊娠2ヶ月というカウントの仕方すら知らなかった。ドラマなんかでの、「うっ気持ち悪い、これは妊娠?」みたいなシーンのイメージがあったが、私はそうならなかった。つわりで吐き気の症状は出なかった。疲れや眠気に襲われたが、食事も通常通り食べれた。つわりの出方も人それぞれである。なんでも経験してみないと分からないし、当事者にならないと積極的に知ろうともしないのかもしれない。
第一子の妊娠の時、なにぶん初めてだったので、陣痛がくると言われても、どんな痛みなのか知らなかった。39週で検診に行った際、「あーまだまだ先だね。初産は遅くなりがちだから。」と医師に言われ、そういうもんか、もしかして予定日過ぎるのかなと思った。
その翌日の朝、痛みで目が覚めた。その後も時折、痛みに襲われたけど、これはもしや、前駆陣痛というやつでは?と思った。その日、たまたま母が遊びに来て、一緒にお昼を食べたが、その間も突然、激痛がはしり、そして、すぐ痛みは消えて、元に戻った。母には、「陣痛じゃないの?」と言われたが、「たぶん前駆陣痛なんだと思う」と答えていた。そうして、時折襲われる激痛、すぐ何事もなかったようになる不思議を繰り返しつつも普通に過ごし、夜になった。しかし、さすがに辛くなってきたので、夕食作りを諦め、夫に仕事帰りに総菜を買ってきてもらうことにした。食事中も、激痛に襲われた。食事を食べては、痛たたた、痛みが過ぎると元通りなので、また食べる、そしてまた激痛。あまりに繰り返すので、思わず笑ってしまった。何だこれ。夫は、「陣痛なら笑う余裕もないらしいよ」とのんきに言うので、急にむっとした。人が痛がっているというのに。もっと心配してほしい。
それでもあまりに頻繁に痛みがくるので、産院に電話をかけることにした。「前駆陣痛かもしれないんですが..、陣痛のような痛みが10分間隔できまして..」その時、本当は10分より短い間隔だったような気もする。陣痛かどうか分からない自信のなさから、なぜかやや長めに伝えた。電話口の助産師さんは「じゃあ、一応来てみる?」と答えてくれ、産院に向かった。10分かからない道のりの間、3回くらい痛みに襲われ、立ちすくんだ。
産院に着き、分娩室で子宮口を確認してもらうと、「では、入院ですね」と言われた。えっ、えっ、ぜんぜん心の準備ができていないと心の中は小さなパニック。心の準備だけでなく、入院グッズも持ってきていなかったので、夫に取りに帰ってもらった。陣痛室に移動し、そこでどうやらしばらく待機するようだった。バックヤード感漂う陣痛室。産院に着いたのは、午後10時半頃で、静かで薄暗い部屋に感じた。荷物を持ってきてくれた夫。用意していたペットボトルにつけるストローのような形の蓋を取り付けようとしたら、ペットボトルと形が合わず、付けられなかった。夫が「買ってくる」とすぐに何種類かの水を買って戻ってきてくれた。が、どれもことごとく合わない、、。最近の水は、各社さまざまなペットボトルの形にしているもんだ。。一般的なサイズのものがなかった。助産師さんがストローをくれ、それをさして飲むことにした。そうこうするうちに、痛みが間隔なく容赦なく襲ってきて、話すこともできなくなった。これは、どの段階で、どういう呼吸法にすればいいのだっけ??!と慌てて、近くに吊るされていた、陣痛の段階の図を見るものの、分からない。ふっふはっはと呼吸が荒くなっているところへ助産師さんがやって来て、「まだそんな呼吸にしないよー」「ふーだよー」と言うものの、子宮口を確認したとたん、はっと顔が引き締まり、「じゃ分娩室に行こうね」と促された。
分娩台にあがると、足下側に助産師さん一人、左右に看護師さんと、3人体制だった。じゃあ息を吸ってー、吐いて、息とめて!いきむ!じゃ息吸ってー、吐いて、息とめて!の声掛けにただ素直に従って、必死で繰り返したら、子が生まれた。産院に着いてから2時間半後くらいの出来事だった。

そんな第一子の出産経験があったので、2回目の今回は、妊娠37週目に入ってから、もういつ生まれてもおかしくないステージなのだと、早めに警戒して過ごした。初産は遅くなりがちと言われたが、今度、経産婦は早くなりやすいと聞いていたので、なおさら警戒した。38週と5日に検診に行くとお腹の子が大きそうなので、余裕があるか確認するとのことで、レントゲンを撮ることになった。レントゲン室に案内され、簡易ベットのような台が直立している横に立ち、取ってをつかんで撮影。そのままその台が私と一緒に直角に倒れ、撮影。怖かった。今度は横になって撮影。結果、問題なかった。その日受けたNST(ノンストレステスト)の最中、ピーピー音が鳴り、慌てて看護師さんが来て確認してくれたが、それも結果、問題なかった。コロナ禍のため、PCR検査を唾液でする予定だったが、経産婦だからと医師の判断で、急遽、鼻から検査するタイプに変更された。唾液の検査だと結果まで2~3日かかってしまう可能性があるが、鼻での検査だと15分程度で結果が出るようだった。鼻から、、。痛そうで嫌だったが、抵抗するわけにもいかないし、素直に細長いこよりのような棒を入れられた。陰性だった。コロナの予防接種も受けてはいたが、陰性と言われれば安心する。
その次の日の夕方頃、お腹に不穏な気配を感じた。夜になると確かに痛みを感じるようになった。これは陣痛かもしれない。陣痛間隔をアプリでカウントすることにした。夜9時頃になり、陣痛間隔が20分になったら、産院に連絡することにした。上の子がまだ2歳だったので、早く寝かせたかったが、その日は特別にして、一緒に待っていてもらうことにした。午後9時半頃、産院に電話を入れると「じゃ、10分間隔になったらもう一度、連絡ください」と言われた。経産婦は20分間隔で連絡を入れることになっていたが、家が産院に近かったので、そうなった。その1時間後くらいにだいたい10分間隔になったので、産院に行くことになった。2歳の息子も使命感のように自分も行くと勇ましく一緒に家を出た。この小さい子も家族のメンバーなのだなと思わされた。産院に着くとコロナ禍だったので、夫と息子とは、産院の玄関口で別れることになった。照明の落ちた産院にひとり、ナースステーションへと向かった。そこに2人の助産師さんが待っていてくれた。よく見ると、そのうちの1人は、息子を取り上げてくれた人だった。助産師さんも私のことを覚えてくれていた。いま息子といたことを伝えると「会いたいなぁ」と言ってくれ、ナースステーション前まで来させてもらえることになった。電話で夫に伝えると強く泣いている息子の鳴き声が聞こえた。夫にだっこされて来た息子は、小さいながらに何か状況を飲み込んだようで、しかっとした顔で、遠くを見ていた。2人の顔をもう一度見れて嬉しくも、別れると、とたんにひとりになったようで、心細くなった。
分娩台で子宮口を確認された。若い男性医師も登場し、確認してくれた。「あーはやそうだね」と言って、さっと出ていった。寝癖がついたような髪型のこの若い人が、お産後の処置をするのかぁと若干不安になった。そして、例の陣痛室へ移動した。今回はひとりぼっちでの待機である。前回は立ち会い出産だったので、傍らに夫がいたが、今回は、バックヤード感漂う陣痛室にひとり残された。立ち会い出産と言っても、ただ横にいるだけで、出産自体は女である私だけがやるのではないかと前回は思ったが、横にいてくれるだけで、安心できたのだとその時、気づかされた。陣痛室の簡易ベットでひとり横になっていると急に緊張してきて、体が震え出した。私は緊張するとマンガみたいに体が震える。その震えは止まらない、震えは止まらないのに、陣痛の波が弱くなってしまった。その上、気持ち悪くなってきた。時刻はこくこくと過ぎていく。気持ち悪さのピークに嘔吐した。助産師さんに「何がでた?」と聞かれ、「き、今日の夕飯が出ました」と、か細く答えた。
前回の家での陣痛に比べて、陣痛室での陣痛は数十倍にも痛く感じた。痛さがクローズアップされた。その上、時間が長い。時刻は午前1時、2時と過ぎていく。助産師さんが時々、様子を見に来てくれ、「腰に痛みは感じる?」「お尻の方に来る感じはない?」と問いかけられたが、そのどちらもその時点ではなかった。しだいに様子を見に来てくれる助産師さんの顔に疲れが見えるように思えた。なんか時間がかかってしまい申し訳ない。。と心で思った。「じゃ、一度寝ていいよ。朝方、出産するイメージでいこう。」と声をかけられた。えっ、朝までこの痛みが続くのか..と辛い気持ちになった。それでも、うとうと寝始めた。痛い。すぐ痛みで目が覚めた。寝れないよ。地獄だと思った。朝方5時頃、突然、ぐんぐんぐんとお尻に感覚がいった。すぐにナースコールを押した。助産師さんが子宮口を確認してくれ、「じゃあ、ここでいきんでみて。」と言った。ここでか.。いきむとぐぐぐっという感覚があった。助産師さんはすぐ「分娩室、用意するから、もう絶対いきまないでね」と言って、分娩室へ行ってしまった。今度はいきんではいけないのか。
分娩台にあがると、前回のような3人体制ではなく、助産師さん2人だった。足下には、今回担当してくれた助産師Oさん。傍らには前回担当してくれた助産師Kさん。手取り足取り促してくれる前回のようなかけ声はなく、「じゃ、陣痛がきたら、いきんでね」とフリースタイルだった。えっ、そういうパターンもあるんだと思うもつかの間、陣痛がやってきたので、いきんだ。いきむ、いきむ、いきむ、いきむ。必死。陣痛1波に4いきみを3セットやったら、子が出て来た。分娩は早かった。
出産後、例の若い医師が「思ったより時間かかったね〜」と言いながら登場した。私も「ぜ.前回は早かったので、長く感じました..」と言ったが、ん?と一瞥されただけで、すぐ処置にはいった。胎盤をとり、「少しだけ縫うね」と言って、おそらく会陰切開部分をささっと縫ってくれた。前回よりも短時間で、そこまで辛くなかった。その後、「ゆるいね〜」と言いながら、子宮を上からぐいぐい押され、痛かった。たぶん、血を出していたのだと思う。後で助産師さんが、分娩が早かったから、子宮の戻りが追いつかなかったのかもと言っていた。

出産を終え、病室のベットで横になっている時、ふと、もうお腹の中に子どもがいないのだと、不思議な感覚になった。ちょっと前まで、お腹の中でもぞもぞ動いていたのに、今はからっぽなのだと。まだ、お腹もぶよっとしていて、子宮も大きいこの容器のような体はからっぽなんだなぁとぼんやり思った。

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