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家の隣の喫茶店に20年越しに初来店してみた話。さっさとやりゃいいのに。#22_02

結論=やりたいことはさっさとやったほうがいいよね。っていう話をします。

「嗚呼、あの時やっておいたらよかったなぁ。」
って考えることがそこそこあって、今年こそは!とか思ったりして、新年に書き連ねる目標リストにノミネートはするものの、それきり置き去りになってしまうこと。あるじゃないですか。

ぼくの場合は、例えば英語とか、ピアノとか、興味はあるのにこれまでやってこなかったこと。

できないことによる不自由さとか、可能性の拡張性の乏しさとか。
なくても当たり前に生きてはいけるんだけど、もしいまそれができているようになっていたら、、
のありもしない可能性を妄想上で再生しては、なんだか悔しくなっていたりすることがあるんですね。

その扉の向こうにはぼくの知らない日常があったのです

京都年始2022_1ワイド-5

ぼくが京都の実家で暮らし始めたのは、高校1年生の頃からで、その「実家」との付き合いはかれこれ20年にもなるらしい。
単純計算の引き算を間違えたのかしら?!と思うほどに時間の経過速度は速いらしい。

ぼくの生まれは京都と大阪の間の町、高槻市の山を切り開かれた住宅地で、その家こそが実家という場所なのだろうけれど、この京都の家のことをどう呼称すればいいのかわからず、便宜上「実家」と呼ぶようにしています。

そんな実家に帰ってきたら鬱になりかけた話は前回綴ってみたんだけど
これと同じく、20年が経つ実家がピカピカだった頃には、既にオンボロになっていた純喫茶で、ぼくはまた深く考え込む出来事があったんです。

京都年始2022_1ワイド-4
↑手前がその純喫茶で、その向こうに見える巨大な建造物がぼくの実家

なんてことのないオンボロな喫茶店。
いつも、やっているのかやっていないのか、中は見えずどこにでもあるような白い立て看板が外に出されているのだから、きっとやっているのだろう。

そんなことを思いながら20年前からこの店を横目に何度となくこの道をぼくは通り過ぎていて、興味はあるんだけど中の見えない店内のその「未知」に、ぼくはなんとなく恐れおののいていたのだと思うんです。

実家に帰り着いたら、いつもなんとなく近所を散歩してみたくなる。
真っ先にこの喫茶店の横を通り「まだやっているのかな?」と。

外の木製の看板の文字はいつかの頃よりもはげていて、隣は駐車場になっていて。
そわそわした心持ちで、電気が消された店内を覗き込んでみたんです。
そしたら、、

「1月4日よりモーニングを450円に値上げします。」
だって。やってたーーー!!!!潰れてなかったーーーー!!!!!
って、心の中で小躍りしたんですよね。(モーニング安いなぁ、、)

翌日、20年間外から眺めていた扉を開けると「からんからんっ」と音が鳴って、レトロな木彫の店内に赤い椅子が並ぶ、未知の景色に踏み込みました。

ぼくが知るその時点では、既に変化していたんだろう

京都年始2022_2京都駅周辺-7

その喫茶店から少し進んだ通りからは肉眼で新幹線が確認できるくらい、駅に近いんですね。京都駅から徒歩7分。

ここはもともと東九条=トンクと呼ばれる在日朝鮮人の方達の居住区だった地域で、ぼくのその実家が建てられた頃から街が開発されていったんですね。

20年前のこの辺の景色は、駅のすぐそこなのに商業施設なんて数える程で、一本路地に入ると長屋がひしめく迷宮でした。(思い出補正の誇張も含む)

キムチやホルモンの看板を掲げたお店が多くて、銭湯も魚屋さんもあったっけな。
(八百屋さんはシャッターを閉めていたけど、多分まだやっていそうだった)

迷宮の一部はホテルになって、ゲストハウスになって、駐車場になって、居酒屋になって、分譲されて。
新しい経済と人口がこの地域をどんどん「街」へと変えていく

↑東九条が舞台となった映画「パッチギ」

何の変哲も無い、この地域の過去なんて知らない人の暮らしの場になっていき、観光地の滞在エリアの一つになっていく。
そんな現在進行形を、京都に帰るたびになんだか寂しく眺めてる。
そう言うぼくも、この地域のことなんて知らない新興住宅住民の1人なんだけど、、

きっと、ぼくが知るその時点では、既に変化していたんだろう。
たくさんの人々が暮らしいた迷宮跡地の空き地が、これからの新たな時間に備えて開発を待っている。

未知は、知ってしまえば過去のこと

ベトナムトリップvol.01-23

20年間外から眺めていた扉を開けると「からんからんっ」と音が鳴って、レトロな木彫の店内に赤い椅子が並ぶ、未知の景色に踏み込みました。

ぞくぞくと常連さんが「あけましておめでとう!」とお店に入ってきて、常連さん同士でお話を始めるんです。

多分、この日常は20年前から営まれていたであろう風景で
その頃からぼくもこの風景に足を踏み入れていたら
「久しぶりやん!」って、仲間に入れてもらえたのかしれないなぁ。と。

そのときに、ぼくは初めて旅をしたベトナムの風景を思い出しました。
旅の前に知っていたことなんて、ベトナムという名前の国がある。そんな程度で、未知が詰まった国を旅する中で、たくさんのことを知ったんですね。

ベトナムトリップvol.01-77

ベトナムは100年間フランス領だったから、建築物は様式の煉瓦造りで、50m四方にカフェがあって、バイクはひしめいているけど意外に安全運転で、誇り高くてしゃいで美意識の高い人々が暮らす国。

人は、たくさんの「未知」を怖がって生きている。
妄想上で組み立てた物語を思い浮かべては、見上げたり見下ろしたりして、その未知が自分とは遠いところに存在している気になっている。

20年前からきっとこの喫茶店では日常が繰り返されていて、今よりも20歳若かった常連さんが珈琲とお話を愉しんでいたんでしょう。

そんなことを考えると

どうしてぼくはその頃にこの店の扉を開けなかったんだろう。

って、切ない気持ちになるんです。
それはきっと、この店に興味を持っていたのにも関わらず未知への介入を恐れていたからなんだと思うんですよ。
もしかしたら、ここの扉を開けていたら、ぼくはこの町のことをもっともっと好きになっていたのかもしれない。

何が言いたいのかっていうとさ

やりたいことはさっさとやったほうがいいよね。

っていうことです。
ぼくやあなたはその未知を「いつ知るの??」ということです。

知ってみたら、話してみたら、食べてみたら、嗅いでみたら
ぼくたちはきっとその先の未来へと進むことができるんだろう。と。

「嗚呼、あの時やっておいたらよかったなぁ。」
って、ぼくたちはいつもやらなかった過去を悔やむんです。

新年にかこつけて「さっさとやりゃいいのに。」だったらやろうぜ。
と、自問自答をしてみた、珈琲の朝でした。

2022年1月10日
写真とテキスト:たつみかずき

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