貴志祐介『新世界より』 〜こらむちっくvol.4〜

おはようございます。レポートに一区切りがついたのでしばらくはちまちまと更新できるはず、うん。

今日は貴志祐介さんの『新世界より』についてつらつらと書いていこうと思う(この「こらむちっく」は気軽に5分くらいで読めるような文章を目安にしている、今回からだけど)。2008年に日本SF大賞を受賞しているこの小説をはじめて読んだのは10年近く前、中学生の頃だったのだが、相当の衝撃を受けたのを今でも覚えている。どうしてこの小説を今頃になって紹介するかというと、ずばりレポートの題材で使わせていただいたからである。と言いつつもレポートで書いた内容はここで軽やかに述べるのは難しいような気もするので、今回は比較的シンプルな紹介をライトに書いていきたい。

今回の記事は「テーマ」の部分まではネタバレを含まない。まだ読んだことがない方はそこまで読んでから『新世界より』を実際に読んでいただいて、その後に解釈の部分を読んでいただくのもありだし、「テーマ」までのお前の文章じゃこの本の面白さが伝わらんと思った方は先に解釈の部分まで読んでいただいて興味を持てるか否か判断していただくのもありだろう。

あらすじ

あらすじに関しては調べたり本の裏側を見たりしていただいた方が早いしわかりやすいかと思うのでここではそれを引用させていただきたい。

上巻
1000年後の日本。豊かな自然に抱かれた集落、神栖(かみす)66町には純粋無垢な子どもたちの歓声が響く。周囲を注連縄(しめなわ)で囲まれたこの町には、外から穢れが侵入することはない。「神の力(念動力)」を得るに至った人類が手にした平和。念動力(サイコキネシス)の技を磨く子どもたちは野心と希望に燃えていた……隠された先史文明の一端を知るまでは。

中巻
町の外に出てはならない――禁を犯した子どもたちに倫理委員会の手が伸びる。記憶を操り、危険な兆候を見せた子どもを排除することで実現した見せかけの安定。外界で繁栄するグロテスクな生物の正体と、空恐ろしい伝説の真意が明らかにされるとき、「神の力」が孕(はら)む底なしの暗黒が暴れ狂いだそうとしていた。

下巻
夏祭りの夜に起きた大殺戮。悲鳴と嗚咽に包まれた町を後にして、選ばれし者は目的の地へと急ぐ。それが何よりも残酷であろうとも、真実に近付くために。流血で塗り固められた大地の上でもなお、人類は生き抜かなければならない。構想30年、想像力の限りを尽くして描かれた五感と魂を揺さぶる記念碑的大傑作!

テーマ(ここまではネタバレなし)

この物語で描かれる最大のテーマは「神の力」たるサイコキネシスを手に入れた人間たちが、その後の世界をどう生きていくのかということだ。念じるだけで人の首をねじ曲げることができる、ほんの一瞬怒りに駆られただけで呪力が暴走して相手の頭を吹き飛ばす、というようなことが起こりかねない力を手に入れてしまった人間は、他人というものに対してより強く不信感や恐怖というものを抱くようになる。殺人が起きてもその証拠がなければ裁くことすらできない。そもそも法は抑止力としての効果を持たないなら何の意味もない。そのような中で神栖66町のような平和な共同体が構築されたのは一体何故なのか。その秘密に迫りながら、主人公たちは呪力という狂気的な力に向き合っていくのだ。(これ以降の部分では一部ネタバレを含みます)



なんとなく思ったこと(これ以降ネタバレを含む)

めちゃくちゃ詳しく論じる、みたいなこともちょっとやりたい気もするが、それは読む側も疲れてしまうし、書く側もとしても間違いなく続かないのであっさりな感じで。

さて、それでは神栖66町が平和である所以をまずは見ていこう。この町の平和はいくつかの対策によってもたらされているのだ。

まず一つ目は教育。幼い頃から慎重に教育を施すことで人間の人間に対する攻撃性を抑えようとする試みがなされている。その中でも特徴的なのは「外」の世界への恐怖心を徹底的に植え付けることだろう。

次に心理学的な観点からの異常性の排除。過度な攻撃性を持った人間などを子供のうちに「腐ったリンゴ」として排除してしまうのだ。

そして三つ目は社会構造の転換。現代の私たちの社会はどちらかというとチンパンジーのような争いの社会である。それをボノボのような性愛を基調とした社会へ作り変えた。実際神栖66町の社会では性愛に(子供を作るということは別として)同性、異性の区別はない。

そして最後、これがテーマに最も深く関わるものだが、それは遺伝子レベルでの攻撃抑制だ。この物語の根幹をなすこの攻撃抑制は、SFファンタジーという特徴を活かして私たち人間が持つ攻撃性をより極端に見せるものなのではないかと思う。今の世の中でも私たちの攻撃性は様々な場面で見られる。殺人事件がニュースで報道されたり、ネットでは誹謗中傷が書き込まれたり、程度は様々かもしれないが他人を攻撃する、場合によっては死に追いやることが後を尽きない。それがもし、念じただけで他人の頭を吹き飛ばしたり、なんならカッとなってその瞬間に相手を殺してしまっていたり、そんな力を持つことになってしまったらどうなるだろう。私たちはただ理性だけでそれを抑えることができるのか?そもそも今だって私たちは攻撃性を抑えきれないような事件を見聞きすることになっているのに、これから先の未来、たくさんのものが手に入っていく中でこの攻撃性がもっともっと顕著に社会問題となってしまう日が来るのではないか。

この『新世界より』はそれをある種の実験のようにして私たちに提示しているのかもしれない。

おわりに

と、こんな感じでこれからも5分(長くても10分)くらいで読めそうな記事を目安に書いていこうと思っている。今回は僕自身多大なる影響を受けている貴志祐介さんの『新世界より』を紹介した。こんなふうにちょっと論じてる風に書くこともあればただあれが好きだこれが好きだと言っているだけの文章になることもあると思う。皆さんに楽しく読んでいただけたら、紹介された作品に興味を持っていただけたらこの上なく嬉しい(そもそも作品の紹介でもなんでもないこともあるかもしれないけれど)。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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