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馴れ合いに意味があるのか

この歳になって、人間関係でいろいろと考えさせられることがある。
それは、馴れ合いに意味があるのかということである。

上辺の人間関係、その場が楽しいだけ、寂しさを紛らわすといったことが僕が馴れ合いに抱いているイメージである。

そもそもの馴れ合いの意味
「馴れ合いとは、利害を共にする同士が結託して、通常取るべきとされる手続きを踏まず、暗黙の合意の元に意思決定を行うことを指す。(Wikipedia参照)」

そもそもの意味でいうと、悪く解釈をされているようである。

今、こんなに批判的に馴れ合いについて述べているのだが、そんな僕も徹底的に馴れ合う時期が過去にはあった。

例えば、中学や高校、19歳あたりまでである。
人といないと不安だったし、常に誰かに認めてもらいたかった。

しかし、それだと薄っぺらい関係しか築けないことに気づいたのである。

思っていることを自然と言い合える関係性しか僕はいらないと究極的に思っている

慣れ合っていて、時間が経過しても人は成長はしない
目標を決めて、それに見合ったタスクをこなした数だけ人は成長する

馴れ合う程、時間の無駄はない
人生を粗末にしている

だから、もっと自分を成長させるために時間を使おうと思う。

孤独についての僕の良書は下記である。
この記事を書きながら、ふと思い出した。
是非皆さんにも読んで欲しい

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