おたつ

自分なりの寄り添い方

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自分なりの寄り添い方

最近の記事

「過去は全部正しかった」とか「未来は明るい」とか人生を積極的に肯定をすることへの拒否反応ときたらとんでもない。 せいぜい「無駄ではなかった」や「今よりはマシかもしれない」みたいな消極的な肯定。 やや感情的になりながら眠る。

    • 反芻思考。原因を全て自分にすることで楽になろうとしてる。 ちゃんと誰かに感情をぶつけられる人って強い。 自分と向き合ってるようで立体的な自分が見えた途端目を背けたくなる。 ご飯食べよう

      • 心の声の箇条書き

        ・「お前そんなんで営業できてんのか?」 ・お客さんに「たつさんってまだそんなに若いんですか?見た目若作りしてる40代くらいの人だと思ってました」なんて言われる。 ・渋沢栄一の言葉。”無欲は怠惰の基である。” 最近心が反応した言葉や出来事。全て繋がっているのかもしれない。 ・将来の夢 ・目標 ・理想 本当に苦手だ。 無欲なわけではない。曖昧な幸せは望むのに、具体的な幸せ像が見えてくると一気にシャットアウトしてしまう。 そう考えると、心が落ち着いている状態というのは案外よく

        • 生きるの難しいな 明日からまた心穏やかに

        「過去は全部正しかった」とか「未来は明るい」とか人生を積極的に肯定をすることへの拒否反応ときたらとんでもない。 せいぜい「無駄ではなかった」や「今よりはマシかもしれない」みたいな消極的な肯定。 やや感情的になりながら眠る。

        • 反芻思考。原因を全て自分にすることで楽になろうとしてる。 ちゃんと誰かに感情をぶつけられる人って強い。 自分と向き合ってるようで立体的な自分が見えた途端目を背けたくなる。 ご飯食べよう

        • 心の声の箇条書き

        • 生きるの難しいな 明日からまた心穏やかに

          ギャップ

          先日草野球で久しぶりに活躍出来た。 そこに至るまで色々な人に意見を求めて、色々な人が親身になって教えてくださった。 打球が飛んだ時、自分では現実味を感じられなかった。 なのに、周りは喜んでくれている。 このギャップは以前から多い。 「現実味がない」最近よく口にしてしまう言葉だ。 「嬉しかった」や「楽しかった」はずなのに。 評価を他人に任せてしまっているのかもしれない。 思考や経験が自分の目に映る景色を作ってしまっている。 「おたつさんって練習でも試合でもよく名前呼ばれ

          ギャップ

          遠くにある光

          「いつか幸せになれるはず。」 いつまで続くかわからない人生で、あるかもわからない幸せをそれでも心のどこかで求めている。 それくらいの解像度が一番楽だからなのかもしれない。 その時その時の楽しさ、嬉しさ、幸福。 自分に足りないのはそれを表現する"発信力"なのか。 あるいは、その感情を受容する"心"なのか。 先週は色々あった。 仕事を続けているだけなのに自分の心の中に慢心が生まれていることに気付いて、ショックだった。 自分が招いた不幸を擦り続けて、そこに胡座をかいている感

          遠くにある光

          幸せ、楽しさ、嬉しさを求めてるはずなのにその度合いが大きいと怖くなり 不幸、苦しみ、痛みに寄りかかってることが楽な時もある。 どちらも長い目で見れば虚しさに気付く。 美味しいもの食べて小さな幸せを噛み締める。

          幸せ、楽しさ、嬉しさを求めてるはずなのにその度合いが大きいと怖くなり 不幸、苦しみ、痛みに寄りかかってることが楽な時もある。 どちらも長い目で見れば虚しさに気付く。 美味しいもの食べて小さな幸せを噛み締める。

          "生きる"ってどうすればいいの

          二度と会えない世界線もあったかもしれない。 それも結構な確率で。 だから、単純に嬉しかった。 それをうまくテンションや言葉に乗せられないのだけど。 SNSがあるから、遠くにいる人でも身近に感じることができる。 一方で身近に感じる分気付いたら友達と疎遠になっていることも増えた。 ただ、不思議なことに仲良い友達とは小さなきっかけで会えたりする。 自分を認識してくれてる人と接する時間を大切にしようと改めて思った。 逆に自分を軽んじてくる人との接し方も見直そうと思った。 残念なが

          "生きる"ってどうすればいいの

          Unmet

          普段野球を観る時以外はあまりテレビをつけない。 そんな中知人から「面白いから是非みんな見て!」と紹介されたのが「アンメット ある脳外科医の日記」というドラマだった。Netflixで一気見してしまった。 内容についてはあまり言及しないが、久しぶりに面白いドラマだと思った。(もしかしたら、自分が観ていないだけで面白いドラマはたくさんあるのかもしれない。) アンメット Unmet 「満たされない」という形容詞 "出来た影に光を当ててもまた新しい影ができて満たされない人達が生ま

          自己満足

          どこかで引っかかっていた。 とある友達が仕事で心を苛まれているという話を人づてに聴いた。 もう数年彼とは会っていなかったし、以前の人間関係を絶ってるなんて噂も聴いていた。 1人でお酒を飲んだ時に勢いで連絡を取ってみた。「元気?今度東京行くけど飲み行かないか?」 すんなり返事が返ってきて、飲むことになった。 連絡が途絶えた時に上の噂がチラついて、少し不安にはなったが、前日に連絡が返ってきて無事に会えた。 以前会った時と比べても、特に違和感はなく、いつもの感じで話が出来た。

          自己満足

          そんなわけで、また一月後に

          そんなわけで、また一月後に

          皆、色々抱えてる

          特に目的もなく東京に来た。 「あいつ、元気かなぁ」と思って急遽声をかけて飲みに行ったり、逆に声をかけてくれる人もいたり…。 それぞれおしなべて色々な苦しみを味わってきた。 それでも飲んでる間はそんなことは忘れて"今"を楽しめる。 人は怖い。心は簡単に崩れる。 「自分なんかいなければいいのに。」そう考える夜もある。 逆に「自分が死んだら、この今の自分の感情はどこに行くのだろう」 そう考えて、たまらなく怖くなる夜もある。 一方で、今日の自分がいることで、誰かのそんな夜を今日

          皆、色々抱えてる

          なんの目的もなく東京行く予定立てちゃった

          なんの目的もなく東京行く予定立てちゃった

          5.31暗闇を抜けるには

          どんなにフラットな状態の時でも気分は微妙にマイナス。そんなのが染み付いているから、気分が高揚することはほとんどなく、幸福感は薄い。 最近は落ち込むことが多く、そんな日々を抜けてもプラスにはならないことを悟ってしまい、さらに沈んでいく。 こんなのは自分の気持ち一つなはずなのに。 それならば、どんな時に気分は上がるのか考えてみようと思った。 先日、草野球をしている時にチームメイトが親身になって野球を教えてくれた。 チームメイトばかりでなく相手チームの人も声をかけてくれて教

          5.31暗闇を抜けるには

          5.19

          本当に仕事もプライベートもうまくいかないなーと半ば自分に呆れていた。 長期的な目線でも未来を眺めた時に、心が低空飛行のまま人生が終わりに向かっていくことに絶望に近い感情で打ちひしがれつつあった。 そんな1週間を過ごし、土曜日に野球をしていると、ふとチームメイトが笑顔になっているのが目に映った。 俯瞰してみると自分も笑顔になっていることに気付いた。 あー、これって"楽しい"んだ。 「何か楽しいことないかなー」と苦しみながら考えていたけど驚くほど身近なところにあった。 野球と

          元気出したいし楽しいこと探したいな

          元気出したいし楽しいこと探したいな