見出し画像

【小説】迷い猫 2

1話 / マガジン / 3話

(2)

 助けたほうがいい、そう思いながら具体的な案も浮かばないまま数分が過ぎた。せめてなにか、箱でもあれば……、茉莉はショッピングモール一階のテナントにスーパーが入っていたことを思い出した。スーパーなら、おそらく使い古しのダンボールを無償で配布しているはずだ。
 でもそれまでこのはどうする? 戻ってきたら、もう居ないのではないか……。
 そこまで茉莉が考えたときだった。猫と自分の間にふいに影が交ざった。

「山本さん?」

 振り返るとそこには小田友梨佳がいた。

——なんでここに小田さんが!

 茉莉は本日二回目の衝撃が口をついて出そうになるのを堪えた。一方の友梨佳は何事もなかったかのように平然としている。

「猫? 大変、助けてあげないと!」

 そう言うと友梨佳は茉莉の真横をすり抜け、さっと手を伸ばすと軽々と抱き上げた。抱き上げられた猫のほうは抵抗することもなく、弱々しく鳴いた。
 数分悩んでいた自分が何だったのかと思うほど鮮やかな動きに茉莉は唖然とした。

「だいぶ衰弱してるね。ねえ、山本さんタオルかなんか持ってない?」

 そう言われようやく我に返った茉莉は、自分のリュックの中からタオルを出した。今朝、天気予報でにわか雨を告げていたので出がけに放り込んだフェイスタオルだった。

「おお、さすが。ちょうどいいサイズだね。ちょっと広げてくれない?」

 言われるままに茉莉がタオルを広げると、ふわっと猫を渡された。タオル越しに伝わる生き物の感触は想像以上に軽く、茉莉は動揺した。重さにして3キロあるだろうか。大人の猫ならもう少し大きいのではないか。まだ子猫に入るのではないか。

「どうしようか? このまま逃がしてもきっとまた側溝とかにはまるか、車に轢かれちゃうよね……。山本さんってまだ実家?」
「え? あ、うん実家だけど」
「私、高校卒業して一人暮らししてるんだ。ペット禁止のところだから連れて帰れない。山本さん、しばらくこの猫ちゃん面倒みれない?」

 そう言うと友梨佳はにっこりと微笑んだ。その表情からは何を考えているのか読み切れないが、異論を挟む余地を与えない勢いは伝わってきた。

「う、うん。わかった」

 半ば圧され気味に返事をしたあと、茉莉は自らの返答に困惑した。確かに家は実家だが、母親はあまり生き物が好きではない。昔弟と二人でペットを飼いたいといったときに猛反対されたことを思い出した。
 第一、子猫を拾ってどうすればいいのか皆目見当もつかない。

「ありがとう! いろいろ協力するね。何でも言って!」

 あまりにもあっさりと友梨佳のペースで物事が進んでいく。先ほどのトイレでの出来事もあり、茉莉の頭は現状を処理しきれない。

「そ、そしたらダンボールもらってきてくれない? そこのスーパーで……」

 これだけをかろうじて依頼した。

「あ、そうだよね! わかった! ついでに猫ちゃんのごはんとかも買ってくるよ。ちょっと待ってて!」

 そう言うと颯爽とショッピングモールのほうへ向かっていった。

 茉莉が所在なげに猫を抱きかかえたまま往来の自動車を眺めること20分程度過ぎた頃、友梨佳は小走りで戻ってきた。
 小脇にダンボールを抱え、右手にペットショップのロゴが入った袋、左腕にはガムテープ、手には100円ショップで入手したらしい猫用の皿などを袋にもいれず裸で持っていた。

「ありがとう。大変だったね」

 思わず茉莉はそう言った。

「大丈夫、大丈夫。猫ちゃん逃げなくてよかったね。いま箱つくる。待ってて」

 友梨佳はダンボールを箱型にするとガムテープで止めた。その箱に茉莉はタオルごと猫を優しく入れた。手元を離れたことで茉莉はいくらか安堵した。猫は不安げな雰囲気は変わらないもののタオルに包れたまま大人しくしている。

「フードはどんなのがいいか分からなかったけど、売り場のスタッフさんに猫ちゃんの大きさとか言って相談したらこれがいいんじゃないかと勧められた。あとこれお皿。お水とフードが両方入る。あと、猫砂? おトイレ」

 友梨佳はそう言うとニコリと口角をあげた。昼間の状況がフラッシュバックする。〝おトイレ〟という言葉に必要以上に身体を震わせてしまった茉莉だが、一方の友梨佳はまるでそんなことは無かったかのように平然としている。
 ワザと言って反応みてるの……? そんな疑惑が頭をかすめたが、いまはそんなことより礼を言わねばならない。

「ありがとう。あ、お金……」
「大丈夫大丈夫。ほとんど100均だし、山本さんには猫ちゃん預かってもらうんだし」


 友梨佳とキャンパスで別れた茉莉は、ダンボール箱を抱えたまま自宅まで徒歩で帰った。どう考えても自転車の前かごに猫の入った箱は入りそうにもなかったし、振動はこの生き物には良い影響を与えなそうだったからだ。
 地図で調べた限り40分程度で歩いても帰れそうだったが、普段自転車で通っている道を歩いて帰るのは想像以上に時間の経過が長く感じられた。
 猫がダンボールから飛び跳ねないか何度も何度も箱の中を確認しながら、往来する車や人に気をつけながら全方向に集中し、緊張感が続いた茉莉は自宅の門扉が目に入ると安堵のため息をついた。
 この時間、自宅には誰もいないはずだった。母親はパートに出ているはずだし、弟はバイトのはずだ。父親は3年前に他界している。

「ちょっとまっててね」

 猫に優しく話しかけると門扉と玄関を開けるため、恐る恐るダンボール箱を地面に置いた。猫は少し動いたが相変わらずタオルに包まっていた。

 自宅へ入り誰もいないことを確認すると、無人の家にも拘らずなるべく音を立てずに茉莉は自室へと上がった。
 スマートフォンで検索したが、猫は洗われるの嫌うという。しかし拾ってきた猫は泥まみれできれいにしてあげたいと思った。茉莉は温かい濡れタオルで猫を優しく拭ってやった。少し嫌がっているようだったが、次第に大人しくなってきた。泥が落ち、元々の毛の色が見えてきた。緑色の首輪をつけている。どうやら飼われてた猫のようだ。

「キミ、白猫ちゃんかと思ってたけど、かわいい模様があるのね」

 最後に乾いたタオルで拭いてやると、心なしか不安げなまなざしが落ち着いたように感じた。


 夕刻。テレビでは地上波のニュース・情報番組が放映されており、都内で連続する強盗事件を扱っている。
 いずれも家屋に強引に押し入り、家主を暴行した上で金品を奪って逃走する手口だった。
 そのうち1件は建造物侵入と強盗致傷の疑いで、警視庁が19歳と18歳の少年二人を逮捕したと発表した。容疑者である二人の少年に事前の面識はなく、いわゆる「闇バイト」で集まったと供述しているという。

「怖いわねぇ。この前、このあたりでもおばあちゃんが強盗に入られて殺されちゃう事件があったけど、あれも闇バイトなのかしら」

 茉莉の母がテレビを見ながら呟いた。茉莉と弟の翔太は、ダイニングテーブルで母の作った夕食を食べている。

「ごちそうさまでした!」

 茉莉は夕食を食べ終えるとそそくさと食器を下げた。そのまま二階の自室へ上がろうとする。後ろから母親が驚きの声を上げた。

「え、茉莉、あなたこれから藤代くんのドラマじゃない? 観ないの?」

 階段の手前で止まった茉莉は苦悶の表情を浮かべた。
 藤代巧のドラマは毎週欠かさずリアルタイムで観ている。だが、今日はあの猫が……。

「明日までのレポートが終わってない。サブスクで観る」

 そのまま振り返らず茉莉はそう言った。

「え? マジ? じゃあ俺、サッカー観てもいい?」

 母親が驚きで言葉を失うのと同時に、姉の心中も知らず弟の翔太が浮かれた声を上げた。

 自室のドアを恐る恐る開くと、拾ってきた猫は逃げることなくダンボールの中でタオルに包まれていた。
 横に出しておいた水は少し飲んだ形跡があるが、キャットフードは口をつけていないようだった。苦手なフードなのかそれとも怖がっているのか。拾ってきたときよりは動きも出てきたが、いまだ元気とは言い難く、このままフードを食べないようだったら……と、居ても立っても居られない気分になった。

 スマートフォンで「保護猫」「猫を拾ってきたら」などといろいろと検索をしてみたが、猫といっても食べるフードは月齢によってもその猫によっても異なるようで困惑した。なにより「まずは動物病院へ」といった記述が多く、連れて帰ってきたこと自体が間違いだったのかとの思いも交錯する。近所の動物病院はどこも明日木曜日が定休日で、既に今日の診療時間は終了している。

 落ち着かず誰かに連絡をしようかと考えた。
 友梨佳とは別れ際に連絡先を交換した。バイトのあとで連絡するね、と言われたが、いまのところまだ連絡はない。
 昼のトイレで、絶対友梨佳は気づいたはずだ。彼女は茉莉の行動に〝引いた〟に違いない。にも拘わず猫のことで友梨佳があんなに気さくに動いてくれたことは意外だった。あそこに友梨佳が現れなかったら、このを助けることも出来なかっただろう。
 スマートフォンで交換した友梨佳のアカウントを見た。まとめ髪に一輪の百合の花が飾られた横顔。見る人が見ればわかるが、見知らぬ人が特定できるほど顔は写りこんでいない。アカウントのアイコンはその人の個性が出るように思う。こういうアイコンを選ぶ人は自分に自信がある人だ。 

——茉莉ちゃん、怖い

 初めにそんなことを言われたのは小学生の頃だったか。当時仲良くしていたクラスメートから言われた。

 そのクラスメートは少しクラスの中で浮いている子だった。皆、彼女のことを〝ワガママ〟だと評し次第に何かにつけ明らかな除外が行われていくようになった。

 茉莉は彼女に声をかけた。
 いつも〝泣いている〟から放っておけなかったのだ。実際には彼女は泣いてなどいなかったが、茉莉には彼女の日々の苦しさが伝わってきていた。

 最初のうちは良かった。二人は自然に仲良くなり、茉莉が仲良くしたことで、クラス内の空気も少し変わった。
 彼女から発せられる感情を汲んだことが良かったのだと、茉莉の中の自己肯定感もくすぐられた。

 だが、次第に距離を置かれるようになった。
 理由は分からなかった。自分の行動が何が良くなかったのか、茉莉は日々悩んだ。
 悩めば悩むほど茉莉の行動は空回りし、彼女のネガティブな感情は増幅して茉莉を覆っていった。

 そしてついにその日はきた。

 「茉莉ちゃん、怖い。なんでいつも私の心を読んでくるの?」

 あの時の、グワッと掴まれたような心の痛みは今でも癒えることはない。


 以前、リリコが今の介護職の前に動物病院の事務で働いていたと言っていたことを思い出した茉莉は、リリコに猫を拾ったが困っているとメッセージを送った。
 リリコは夜勤の休憩中だったらしくすぐにレスポンスがきた。猫の状態を問われビデオ通話で見せながら説明すると、いろいろとアドバイスをくれた。

「まりちゃん。ところで、その猫ちゃんは今後どうするつもりなの?」

 ドキっとした。だが当然の質問だ。

「首輪をしているから迷い猫だと思うんだけど……。もし飼い主が見つからなくてもうちは親が苦手なので飼うことは出来ないと思う。もし飼い主さんが見つからなかったら、里親……になってくれる人を探さないとなんだよね?」
「うん、まぁ最終的にはそうなるけど、まずは病院に連れて行ったほうがいいよ。そのままだと健康状態も心配だし、ノミとか駆除してもらったほうがいいし……。あとね、マイクロチップが入ってるかも調べてもらえるはず」
「マイクロチップ?」
「うん、基本的に最近産まれたは装着と登録が義務化されたはずだから、飼い猫だったら飼い主とか分かるかも」

 マイクロチップについては、ニュースなどで見たことがあった。そうか、と茉莉は思った。そのためにも動物病院に一刻も早く連れていくべきなんだなと考えた。

「ただ、動物病院で健康状態みたり害虫の駆除したりするとたぶん1万円前後はかかると思うよ。飼い主さんが無事みつかれば、費用をもらえるかもしれないけど、見つからなかったときはまりちゃんの自腹になるかも」

 茉莉は思わず言葉を失った。1万円は今の自分にとって決して安くはない金額だ。

「猫がいなくなったらSNSとか掲示板に迷い猫情報として載せる人が多いみたいだから調べてみたらどうかな?」

 電話の向こうでリリコがゆっくりとした優しい声でそう言った。

「うん、そうしてみる。リリコさんありがとう」
「いえいえ」
「あ! ごはん。食べてる」

 電話をしている合間にフードが減っていた。少しだけ元気が出てきたのか先ほどより部屋の中を行ったり来たりするようになった。小首をかしげるようなしぐさでこちらを見ている。リリコにもそのことを伝えようとスマートフォンのカメラを猫に向けた。

「あれ? ゴメンもう一回猫ちゃん映して」

 リリコにいわれるまま、猫のいろいろな角度がわかるようスマートフォンを動かした。

「……画面越しだから確証もてないけど、男の子っぽいね」
「そうなんだ?」
「うん。たぶんね。ゴメン、そろそろ休憩終わるからまたあとでね。じゃあ」

 通話を終えると茉莉はまじまじと猫を眺めた。そっか男の子なのか。猫は茉莉の視線をすり抜けるようにまたダンボールの中へ納まってしまった。

 ともかく飼い主だ、そう思った茉莉は迷い猫の掲示板などを片っ端から探し始めた。外見や大きさ、首輪の特徴などを入力しくまなく調べてみたが、なかなかヒットしない。

 リリコに言われた通りダンボール内の状態を家にあるもので整えたおかげなのか、猫はスヤスヤと眠り始めた。時々検索の手を止めては猫の様子を見ているうち、茉莉は不思議な愛着が湧いてくるのを感じた。寝ている姿がなんとも言えず愛らしい。呼吸に合わせて背中が上下するのを見ていると気持ちがほぐれていくようか感覚になる。

 夜の11時を過ぎた頃、バイトが終わった友梨佳からメッセージが入った。猫の様子を確認するもので、茉莉は写真つきで現在の状況を伝えた。猫が水とフードを口にしたことを知り、友梨佳も安堵したようだった。

〔バイト先の人から使っていない猫のキャリ―ケース譲り受けたよ! 連れて行くときに必要かと思って。あと他にも必要そうなもの持って明日いくよ〕

 行動が早い。友梨佳のこういうところは本当にすごいと純粋に思う。茉莉は自らの行動を友梨佳に伝えねばと考えた。

〔とりあえず飼い主さんを探そうと思って、いろいろ掲示板のサイトとか見てるけど、いまのところ見つからない。これからSNSとかも見てみるつもり〕
〔OK。私も探すね〕
〔ありがとう。なんか見つけたら教えて〕

 友梨佳とのメッセージを終えた後、茉莉は再び検索を開始した。迷い猫のサイトはあらかた見終わったので、各SNSで検索してみる。保護猫にこれまで深い関心を持っていなかったが、調べると実に多くの人が猫の失踪で困り果てていることが分かる。

「あれ?!」

 深夜に差し掛かるころ、茉莉はスマートフォンをスクロールする手を止めた。動画配信サイトで知人の飼い主が失踪した猫を探しているという動画を発見した。失踪した猫については静止画の写真しかなく暗く不鮮明であったが茉莉が拾ってきた猫の特徴と似ていてる気がするし、失踪日が3日前で八王子市、身に着けているというタグが目の前の猫とまったく同じ色と形状のものだった。

 ソーシロという名の動画配信者に茉莉は連絡を取ってみることにした。すぐにスマートフォンが震えた。あまりにも即レスポンスが来たため茉莉は驚いたが、こちらの写真と保護した場所を返事すると、「探している猫です」との返事があった。

「よかった……!」

 深夜に部屋で一人、思わず声を上げた。数分前まで飼い主は見つからないのではないかという気持ちが胸のあたりをずっとソワソワとさせていた。

 動画投稿者が知人に連絡をとってくれ、次に飼い主である知人からメッセージがきた。早速明日にでも引き取りに行きたいという。
 飼い主はよっぽど早く猫に会いたいのか、朝イチにでも会えませんか、と言ってきたが茉莉が大学生であることを伝えると夕方に会うことを了承した。住所を問われたが、さすがにいくら猫の飼い主といえども赤の他人に住所を告げることに抵抗があったので、中間地点としてどこか交通の便のいい駅にしてほしいと返した。
 こちらが京王線か多摩モノレール沿いを希望すると立川駅を指定してきた。JR中央線沿いに住んでいるという。
 茉莉は驚いた。この猫はそんな距離を移動してきたのだろうか、と。

 友梨佳に連絡をすると、明日自分もついていくという。正直に言えば友梨佳にも住所を教えることに抵抗があったが、猫を届ける重大任務を前にそんなことも言ってられない。一人より二人のが心強いのは間違いない。
 覚悟を決め友梨佳に住所を伝えると、茉莉はベッドに入った。羞恥心から始まり緊張と不安に強いられつづけた身体はすぐさま茉莉を深い眠りへ誘った。

(つづく)

1話 / マガジン / 3話


お気に召したらフォローお願いします。ツイッター(@tatsuki_shinno)でも呟いています。