僕たちに足りない”暇な時間”が作るもの
2月下旬、妹がドイツ留学から帰ってきた。1年間のドイツ生活で妹が何を見てきたのか、何を感じてきたのかを聞いてみると、興味深い話があったのでここでまとめておきます。
聞いてみると、妹がドイツで1番長く時間を使ったのが、ドイツの友人宅での暇な時間だったそうだ。それを最初に聞いた時、
「おい、ドイツまで行って、何してんねん。」となった僕。
ただ、この”暇な時間”は、妹にとって大きな気づきを得る時間となったそうである。
妹が過ごした”暇な時間”とは。
ドイツで出会ったドイツ人の友人宅で、その友人とトルコ人の友人と妹で、ただのんびりとした時間を過ごしていたらしい。
ビザがなかなか下りなかった為、妹はドイツでアルバイトをすることもできず、大学の講義以外の時間にやることがほとんど無かったそうな。そんな時、ひたすらその友人宅で時間を過ごしていた。
その時間にやっていたことは、
○お互いのやりたいことを、ただやる
・絵を描く
・折り紙をする
・制作物に取り組む(小さな本を作っていたそうです※表紙の写真)
○ただただ色んな事を話す
・お互いのこと
・政治や宗教のこと
・仕事のこと
ただこれだけである。ただこれだけのことに沢山の時間を使い、沢山の日数をかけたとのこと。
このなんでもない時間は、パッと聞いただけだとただの”暇な時間”に思われるが、妹はこの時間で得たものがとても貴重だったという。
”暇な時間”から得たもの
○お互いのやりたいことを、ただやる
この時間はお互いに自分の趣味に没頭していたという。
それぞれの「あれをやりたい」「これをやってみたい」という気持ちをすぐに行動に移し、時間を気にせずにただやる。絵を描きたい人は絵を描き、何かを作りたい人はそれを作り始める。
この時間は”自分の好きなことと向き合う時間”になっていた。
自分がどんなことに興味があり、何が得意なのか。何に没頭するのか。そんなことと向き合う時間を自然と作れていたという。
確かに、別に何もしなくていい”暇な時間”に、それでも「やりたい」と思って始めてしまうことって、もしかしたら自分にとって価値のあることなのかもしれない。
○ただただ色んな事を話す
妹には色んな話し相手がいた。ドイツ人、トルコ人、スペイン人、フランス人。多国籍の友人とお互いのことや政治や宗教のことを話す時間がたくさんあったという。
「日本人って、信仰がない人が多いんでしょ?なんで?」
「将来、どんな仕事がしたいの?」
「今の政治についてどう思う?」
こういう問いが交わされ、それぞれの意見をぶつけ合う時間となっていたようだ。妹はここで1つ困ったことがあったそうだ。
それは、”自分の意見がない”こと。このことについては後ほど。
僕たちに足りない”暇な時間”
ここまで読んでみて振り返ってみてほしいことがあります。それは、このような”暇な時間”が自分自身の人生の中でどれだけあったのかということ。
特に大学生の頃を思い出してみてほしい。僕が大学生の頃は、もちろん遊びにかけた時間は沢山あったが、それは”ちゃんと遊ぶ”時間であった。妹がドイツで過ごした時間と違い、遊ぶために時間とお金を確保する必要があり、アルバイトは必須だった。もちろん学費を稼ぐ必要もある。
そう考えると、”暇な時間”はほとんど無かった気がするし、それはきっと僕だけではないだろう。
ではなぜ、僕らには”暇な時間”が無かったのか。
”暇な時間”の作り方
”暇な時間”の作り方は至ってシンプルだ。妹の例を見てみよう。
・大学の講義以外のスケジュールが基本空いている
・アルバイトがない
・長時間滞在可の空間がある
+α 友人が一緒にいる
条件としてはこれくらいだった。もちろん妹だって、ドイツ内の観光やイギリスまでの小旅行をするなど、”ちゃんと遊ぶ”時間は作っていた。ただその”ちゃんと遊ぶ”を1年間毎日やるのは大変だし、お金もかかりすぎる。
妹のドイツ生活と僕の学生生活の比較
大学生の場合に絞られるが、妹の例と僕が学生だった頃の普通の学生生活と比較してみる。
(妹) 大学の講義以外のスケジュールが基本空いている
(僕) 大学の講義以上にアルバイトのスケジュールがある
(妹) アルバイトがない
(僕) 授業料や車の維持費を払うためアルバイトは必須
(妹) 長期滞在可の空間がある
(僕) 長期滞在可の空間はあるが、長期滞在するほど毎日暇じゃない
この話をしていると、なぜ妹の友人たちも”暇な時間”を作れていたのかが不思議になる。だって、現地の学生はアルバイトができるはずだからである。なぜその友人たちもアルバイトせずに”暇な時間”を作れたのだろうか。少し脱線するが、その理由をお話するためにドイツの学費について簡単に。
ドイツの大学生の学費事情
妹に話しを聞きながら、ネット検索してみるとこのような記事がたくさん見つかった。
①教育費が無料
ドイツの学費は無料です!!小学校から、大学、大学院に至るまでの、公立校の学費は、すべて無料となります。また、外国人であっても無料なんです。しかし、私立の学校の場合は、有料です。
もちろん例外の学生もいるはずだが、妹の話とこれらの記事の情報から考えるに、大学生が半期ごとの学費を支払うためのアルバイトに追われるという状況にはなりにくいとのこと。妹の友人たちにはアルバイトをしている学生はほとんどいなかったそうだ。そりゃ”暇な時間”を作れるわけだ。
”暇な時間”不足が僕たちに与えた影響
では”暇な時間”が不足していた僕たちは何を得ることができなかったのだろうか。こちらも妹の例から分析してみる。
○お互いのやりたいことを、ただやる
この時間に得られるはずだったのは、”自分の好きなことと向き合う時間”だろう。日々のアルバイトや何やらに時間を取られ、自分の趣味や好きなこと、没頭できることに、時間を気にせずに取り組むことができなかったのではないだろうか。
大げさかもしれないが、この事実はその人の人生に大きく影響してくると僕は考えている。
「就職するのは良いが何を仕事にしたいのか、わからない。」
「自分が何が好きで何に没頭できるのか、わからない。」
「自分の人生の時間を何に使えば良いのか、わからない。」
僕は就職活動の場でこういう状態になっている学生をたくさん見てきた。22年近くも人生を過ごしていて、この状態が普通であることって変だと思いませんか。
でもそれも仕方のないことなのかもしれません。だって、”自分の好きなことと向き合う時間”を確保することができなかったのだから。この時間があることで、1つずつ見つけられたはずなんですから。
○ただただ色んな事を話す
この時間に得られるはずだったのは、”自分の意見や感性”そして”発言力やディスカッションへの慣れ”ではないだろうか。自分自身や相手のこと、政治や宗教のこと、お金や仕事のこと。テーマは何だって構わない。ただそのテーマについて考え、意見を持ち、意見をぶつけ、意見を聞き、また考える。この対話と呼ばれる行為自体が、日本の学生の間では”意識の高い真面目な時間”と認識されている印象が強い。でもこれって、人が生きていく上で普通の行為ではないだろうか。
「若者の政治離れだ」
「就職活動でのミスマッチだ」
「早期離職だ」
そんなことがよく言われていますが、これって全部がこの”ただただ色んな事を話す”という時間が不足している結果だと僕は考えています。
でもそれも仕方のないことなのかもしれません。だって、その時間を確保することができなかったのだから。この時間があることで、少しずつ積み上がっていくはずなんですから。
結論、僕たちには”暇な時間”が必要だった
この記事で「日本の学生の学費を無償化しろ!」なんて言いません。もちろん無償化には賛成ですが、この記事では”なぜ無償化が有効なのか”について書いているつもりです。もっと言うと、無償化も手段の一つでしかありません。僕が書きたいのは若い世代こそ、持て余すほどの”暇な時間”を確保せよという意見です。その”暇な時間”から得られるものが人生を長い目で見た時、かけがえのない貴重なものになっているからです。
そしてこのことは、別に若い世代に限りません。人はいつだって、”自分の好きなことと向き合う時間”や”自分の意見や感性”を育てる時間が必要なのです。
最後に、僕からの想い
今回お話した”暇な時間”についてですが、これは意識的に作り出すことも可能だと考えています。得に今のステイホームの時期には作りやすいはずです。ずっと家に居なければならないこの時期、”暇な時間”と遭遇している人もいることでしょう。
”自分の好きなことと向き合う時間”や”自分の意見や感性”を育てる時間が、あなたに大切なものを与えてくれると思います。
素敵な”暇な時間”を過ごしてみてください。
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