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わたくし樹(たつき)と申します

2022年あけましておめでとうございます。

ちょうど今日で27歳になりました樹(たつき)です。
ぼくの名前「樹(たつき)」の由来は父がどうしても「たつき」
という音で名前をつけたかったらしく、そこで一文字でたつきをあらわす
樹を見つけて、また意味のうえで樹木のような太く大きな人間になってほしいという願いも込みで僕の今の名前につながっているらしいです。


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自然のなかで育ったお猿さんたつき

田舎で生まれて育った僕はとにかく自然と触れることが好きで秘密基地作りや山の中でおにごっこをしたりかくれんぼをしたり、ものを作ったりして幼少期をすごしていました。

またひとなつっこい性格で、幼少期から漠然と人の喜ぶことをしたりや人を助けることが好きでした。とにかくよくしゃべる、じっとしていない猿のようなガキんちょだったと僕の子供時代を知る家族や近所のおばちゃんはいいます。


フランスでの生活が自分の価値観を大きく変えた

自分を大きく変えた出来事はいくつかありますが、特に大きなきっかけとなったのはフランスでの経験とフランスで会ったひとたちです。
2014年の初めてのフランス語学留学、2016年の交換留学、2018年から1年間は仕事、2019年から去年の6月までは大学院と合計4年と少しフランスで過ごしました。そこでの経験が自分にとっての大きなターニングポイントになりました。

フランス

高校を卒業して京都の大学に初めて入学して間もない頃は自分の将来を「就職してキャリアを積むことで成長できるだろう」「外資系企業に就職したい」くらいに考えていました。ところが日本を出て初めて出た行った海外留学で自分は大きな衝撃を受けました。日本では“フランスはセレブで華やかな国”というイメージがありますが、メディアでは放送されることのない厳しい部分がそこにはたくさんありました。就職難は凄まじく優秀な大学を出ても職をつける保証はありません。また肌の色の違いや移民というだけで差別もあります。街に出ればホームレスや生活困窮者が地面に座っていました。  この現実にそれまで自分のいた世界の狭さを思い知らされ、人生をもっと深く考える時間を持ちたいと思うようになりました。「フランス語を伸ばしたいからフランスという国をさらに知りたい、自分を成長させたい」と考えにも変化が生まれました。

夢だったフランスでの仕事と現実との葛藤

大学を卒業後再度フランスに飛び今度は仕事に就きました。フランスで就職したかったので夢が叶い、喜んだのも束の間、そのタイミングで移民政策がさらに厳しくなりビザの関係でまさかのリストラに遭うことに。このままでは日本に戻らなければと落ち込んでいた矢先、ひょんなことから某日系企業に転職をすることができました。転職先の会社は大手衣料品メーカーなのですが何より驚かされたのは毎日大量に出る過剰包装のプラごみや段ボール箱などのゴミの山でした。毎晩そこからでる山もりに積まれたゴミ袋を地下のゴミステーションに処分しにいくときの心境がすごくもやもやしていたのは今でも覚えています。

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その一方で、当時一緒にシェアハウスに住んでいたルームメイトは生ごみで堆肥を作ったり、オーガニック石鹸を手作りしたりなど環境問題に積極的に取り組んでおり、その姿勢に刺激を受ける生活をしていました。仕事とプライベートの環境が全く逆でこれには本当にモヤモヤしていました。

この違和感がきっかけに「環境問題のことをもっと深く知って学んでこのモヤモヤを解決したい」という思いから、環境問題や食品ロスの先進国であるフランスの大学院でFood politics(農業政策)と持続可能な開発を学ぶことに繋がったのです。大学院では論文を読んだりプレゼンをするなどの座学だけでなくフィールドワークやEU圏内の学生との学会交流などを通して、政治行政政策面からいかに農業の仕組みを変えられるか、また気候変動や飢餓問題、国際開発の仕組みをよりよくすることができるかなどを学びました。

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意識とライフスタイルを世界基準に


去年の6月に帰国した僕は今、兵庫県の豊岡市という町にいます。育ったところは違う市ですが、僕は豊岡生まれで幼い頃からこっちに住む祖父母の家によく遊びにきては、夏は竹野で海水浴やジオカヌー、冬は神鍋でスノーボードと豊岡の大自然を満喫していました。

また、大学時代、京都にいる時も豊岡には年に何回か来て友達と一緒に祖父母の家に泊まらせてもらい、こたつでお鍋を食べたことや、外国人の友達と祖父のしている畑で一緒にネギをぬいたりしたこともあります。

育った街ではないけれどなにか豊岡とは縁があるとは思っていましたし、今こうして移住という形で自然に囲まれてここで住むことができていることすごく感慨深いです。

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9月に移住してから3ヶ月余り、お蔭様でこちらの生活にも徐々に慣れ、いろいろな地域の方々のお世話になりながら活動もプライベートも充実した日々を送っています。現在、取り込んでいるのは、量り売りの店舗を展開していくための販路開拓とその準備をしています。まずは(“過剰包装”) (“食品ロス”)『“海洋プラスチックゴミ”』といった環境面の課題を消費者の皆さんにどう解決して伝えていくためのリサーチを進め環境問題についての日本の認識をどう世界と同等に広げ深められるか。
その第一歩として地域のゴミや食品ロスなどのリサーチをする傍ら、農家の方々にインタビューなどを行っています。その中で見えてきたのは、知識を蓄えることとそれを現場に生かすこととは話が別ということです。データや数字がすべてではないということです。

また、現在週に一度農家さんのところで1日お手伝いをさせてもらっています。そこには、現場の大変さや生産者の思い、経験から生まれる知恵や技術など多くの学びや発見があります。

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また実際の現場に行くことで大学での講義や本などからは学べない多くのことを肌で感じることができています。大自然に囲まれた豊岡に来てから五感が刺激され、自然や生態系への捉え方が大きく変わりました。


豊岡には時代を超えて地域の人々に受け継がれてきたいる伝統や文化、そして豊岡のDNAが色濃く残っていると思います。まずはそれを深く理解するために様々なイベント地域の行事に積極的に足を運んでいます。地域の催し事に参加することで地域のなかに入って様々な発見をさせてもらっています。

最後に〜ムダと不便さと余白〜

余白や無駄や不便さの中に実はすごく人間性があって五感をアップデートできる要素がたくさんあると僕は考えています。現在テクノロジーの進化とともに生産性と効率性を極端に求める時代ですが、実際に効率や生産のなかにある無駄や余白などが生み出すオフラインな空間や時間がすごく大切なのではないかと思っています。そのきっかけがここ2年間流行しているコロナです。

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コロナのせいで今まで当たり前であった日常が当たり前で無くなり文明を築いてきた人間の密や祭りがここ2年間悪になっています。だからこそ、その反動で緊急事態宣言の解除の後によりキャンプブームが加速し、ひとびとはアウトドアをして五感を積極的に刺激するようになったと思います。あくまで僕の主観的な意見ですが、人間もやはり自然のうえに成り立っているものでそこから無理に逸脱して自分にとって好都合な環境を求めてしまうと結局はその反動として自然災害やウイルス感染という形で返ってきます。環境問題への取り組みは僕も日々行っていますがそれ以上に大事なのは「人間は自然のなかで生かされており、そこを無理に人工的に自分たちにとって都合のいいように逸脱させることは極めて危険」という認識をもって感謝とリスペクトをもって生きていくことが実は一番大切なことではないかと思っています。

不便さや余白を受け入れられる許容と余裕が必要だとわかった今、僕がするべきことはそれが可能な空間をつくることです。その次のステップとしてコミュニティ、イベント、プロジェクトなどができればいいなと思っています。

今回は少し抽象的な内容が多めな自己紹介となってしまってごめんなさい。
今後は定期的に自分の行っていること思っていることを発信できればなと思っています。よろしくお願いします。

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PS. こちらのグラフィックレコーディングは数年前僕のプレゼンをグラレコの達人、あるがちゃんという友達が描いてくれました。          本当にすごい!綺麗でとても見やすいです!!

樹(たつき)

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