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ご褒美が簡単に手に入っちゃうことについて考えてみた

お久しぶりですどうもタツキです。

あ〜 ついにコロナにかかっちゃいましてね。色んな方に差し入れやエールのメッセージをもらってなんとか考えられるほどまでには回復しました。

フランスにいた時も周りがコロナでバタバタ倒れていく中自分はなんとか感染しなかったのについにかかっちまいました。 そして自分がコロナにかかってからここ最近いい天気だったり波が良かったりと自分への当てつけのように外の環境はいいようで羨ましいです。

ただすごく自分自身を整えたり考えたり振り返ったりするにはベストな時間なのでここで少し最近考えていたことを書いてみようと思います。

毎度のことですが特にあたりさわりのない個人的なことを書きますので気長に読んでいただければと思います。
あ、写真はたまたまフォルダからでてきたフランスのいい感じの写真です。


満足やご褒美が手に入りすぎてしまう今日

当たり前のことなんだけれど今って見たい時に見たい動画が見れて、聴きたい時に聴きたい音楽が聴けて、食べたい時に食べたいものは高望みをしなければ食べられると思うんです。

だから特別なにか困ることもなければ特に「あれ欲しい!」「あれ見たい」という昔ほどの欲もわかないようになったのかなと。

自分は知的好奇心と探究心は馬鹿みたいにあるので知らないことは調べたいし、わからないことがあればわかるまで質問攻めするし、議論になったら自分が納得するか帰着点をみつけるまで議論をし続ける性格です。

だけれ自分の私生活に振り返ってふと昔のことを考えた時に、どうしても見たい映画を見るために親にお願いをして、そのための条件やミッションをクリアをして「映画に連れて行ってくれる券」を手に入れた時の感動は今のそれに比べてすごかったなと思います。

それは映画に限らず、「寿司を食べたい!」と言った時に目的達成のために新しいミッションがあってそれをクリアしてその「お寿司屋さんに行く券」を手に入れるとか、他にも「週末ゲームを1時間してもいい券」とかいろいろありました。もちろん「映画館」や「寿司屋さん」に行けないのがほとんど。

あの券(権利)を手に入れたときの「よっしゃー」という感覚はもうあまりないしほとんどの人が持っていないのかなとも思います。最近の子供達のことをあまり知りませんが、買い物で親について行っている親をタブレットを見ながら歩く子供を見て「なぜ外出しているのにタブレット」と思ってしまいます。

基本的な満足できるものはスマホやタブレット端末に集約をしているから日常的に手を伸ばせば「満足」はもうそこにある時代であるのは確実です。

そこで思ったのがじゃあ「満足」を手に入れにくくするのか、それとも満足を超越する「感動」を追求するのかという問いにいたりました。

そして3日間自分で実験をしてみることに。あえて当たり前に日常的に手に入れられる満足を手に入れにくくしてみました。

  •  1日のなかで見てもいいYoutube動画はマックス10動画(だいたい5分くらいの動画)

  • 聴きたい曲ではなく自分のspotifyに入っているプレイリストをランダムで流し早送りや巻き戻しは不可。

  • 、買い物には行けないので自分の冷蔵庫のものを調味料も含めてあるものだけでブリコラージュする(日常に行っていることを極める)。

数値化できる定量測定的な測り方はしておらず自分の満足感や高揚感を信用してそのときの感情を寝る前に3日間メモし続ける実験方法でした。


そして実際に3日間やってみた成果

  • 寝つきが良くなった

  • 仕事効率が上がった

  • ちいさなことで満足感を得られるようになった

  • 集中してひとつのことに取り組めるようになった

  • スマホの充電をほとんどしなくてよくなった。

などなどメンタル的にもフィジカル的にも自分流「ご褒美のハードルをあげる実験」をやってみてとても楽しかったです。そして気づきとして、自分が意識をしていないと自然に満足度はスマホやタブレットなどによって剥ぎ取られているんだなと感じました。

自分の体を被検にしてまたいろいろ試してみたいと思います。

ひさびさの投稿でした。お読みくださりありがとうございました。

どうもタツキでした

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