こたつ

哲学・俳句など

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最近の記事

評) 星を狩る夢にめざめて年新た  大木あまり

夢は人の願望を投影したり記憶を整理したりするものだと言われます。私の場合だと、楽しいイベントなど印象的な出来事の後にははっきりした夢を見ることが多いです。 夢から目覚めて年が明けるということは、この夢は年末の経験に強い影響を受けていると考えられます。年末はクリスマスの電飾やテレビの特別番組などきらびやかな時期です。また、年末十二月は「師走」と言う通り何かと忙しく目まぐるしい時期でもあります。「星を狩る夢」を見たというのはそのようなキラキラ、バタバタする生活を反映しているのか

    • 俳句の悪人正機説?

      角川『俳句』2023年12月号大特集「写生」の岩岡中世「写生句の変遷」を読む。子規の近代的主体性、虚子の客観性という対比で、最後に虚子の継承者として深見けん二が虚子の客観写生の継承者として論じられ、親鸞の「他力本願」に触れる。 俳句について親鸞の「他力本願」に触れるのならば、同時に「悪人正機説」について考えることも許されてよいだろう。親鸞は人が救われるというのなら悪人こそが救われるべきだと考えた。写生の主体として、「悪人」というものを考えてみると、幻想を抱く人、錯覚・幻覚に

      • 俳人・歌人になりたいなら数学をしろ?

        小説家になりたいなら数学をしろ? 芥川龍之介は「小説家になりたいなら数学をしろ」という趣旨の主張で知られている。これは「文芸語らんとする諸君に与ふ」という小文が元になっていると言われ、確かに(体操科目も挙げられてはいるようだが)筆頭に数学に勤しむべきことが主張されている。 しかし同時に、芥川自身は数学は苦手科目だったということもよく語られる。これはなかなか説得力のない主張ではないだろうか。どういうことだろうか。 エドガー・ポーの詩と「数学」 ここで仮説を立ててみたい。

        • 連体止め俳句の研究

          連体止め俳句の研究俳句を作っていてどうにも下五がうまく収まらないなあという感覚があり、最近下五の研究を開始した。データベースを作りながらいろいろ分析していて、連体止め(用言の連体形で句末を締める)がポイントのひとつとして挙げられるのではないかと思い、実際に名句を分析してみた。以下、例句はNHK出版の『名句鑑賞アルバム』から引用。 A=B型初空のなんにもなくて美しき  今井杏太郎 散文訳:初空、なんにもなくて美しい初空だ。 この句では「の」以下の「なんにもなくて美しき」が

        評) 星を狩る夢にめざめて年新た  大木あまり

          高浜虚子選『子規句集』散文訳アーカイブ第5週

          Twitterでの企画 #子規句集散文訳 のアーカイブ第5週です。これで一区切りとなります。 第5週(2023年6月5日-9日)さらさらと竹に音あり夜の雪 辰彦 @tatsuhk さらさらと竹に音あり夜の雪  正岡子規 ◆夜の中、さらさらと竹に当たる音で雪に気が付いた。(明治25年はじめの冬) ◎夜の闇の中、その白さではなく竹に降りかかる音で雪を認めた子規。五感を使って雪へのアンテナが張られている。 炭二俵壁にもたせて冬ごもり 辰彦 @tatsuhk 炭二俵壁にもたせ

          高浜虚子選『子規句集』散文訳アーカイブ第5週

          高浜虚子選『子規句集』散文訳アーカイブ第4週

          Twitterでの企画 #子規句集散文訳 のアーカイブ第4週です。 第4週(2023年5月29日-6月2日)名月や彷彿としてつくば山 辰彦 @tatsuhk 名月や彷彿としてつくば山  正岡子規 ◆秋の名月がありありと見えている筑波山の光景である。(明治25年秋) ◎「彷彿として」(うろつき沸きあがる)という漢語が印象的。ここでは「ありありと眼前に見えること」の意(精選版日本国語大辞典)。 樵夫二人だまって霧を現はるゝ 辰彦 @tatsuhk 樵夫(きこり)二人だまっ

          高浜虚子選『子規句集』散文訳アーカイブ第4週

          高浜虚子選『子規句集』散文訳アーカイブ第3週

          Twitterでの企画 #子規句集散文訳 のアーカイブ第3週です。 第3週(2023年5月22日-26日)遣羽子をつきつきよける車かな 辰彦 @tatsuhk 遣羽子をつきつきよける車かな  正岡子規 ◆羽根突きを繰り返しているのを避けながら進む人力車だなあ。(明治25年新年) ◎羽根突きに人力車に華やかな情景のなか、車夫が車を操りながら羽子を避けていく動作を想像すると、コミカルでおもしろい。 蝶々や巡礼の子のおくれがち 辰彦 @tatsuhk 蝶々や巡礼の子のおくれ

          高浜虚子選『子規句集』散文訳アーカイブ第3週

          ゼルダ俳句の初期衝動

          初期衝動 Nintendo Switchの注目タイトル『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』を始めて、これはフォト俳句ができる!(前作の『ブレス オブ ザ ワイルド』でももちろんできたと思うけど写真を撮る習慣がなかった)と確信し、#ゼルダ俳句 というタグを作成して初期衝動的に4句つくってみた。 友達の街は遠くて風薫る このマップは晩夏から秋に向けての雰囲気がある。ゲームの文字情報を入れるのはずるい気もするが、気に入っている作品で最初に発表した。 膝立ててシ

          ゼルダ俳句の初期衝動

          高浜虚子選『子規句集』散文訳アーカイブ第2週

          Twitterでの企画 #子規句集散文訳 のアーカイブ第2週です。 第2週(2023年5月15日-19日)青々と障子にうつるばせを哉 辰彦 @tatsuhk 青々と障子にうつるばせを哉  正岡子規 ◆芭蕉の葉の青々とした色が障子に映っているなあ。(明治21年) ◎芭蕉の葉を直接描写するのではなく、「障子にうつる」姿として間接的に描きとった幻想的な句。 一日の旅おもしろや萩の原 辰彦 @tatsuhk ◆丸一日旅をすることはおもしろいなあ。萩の花が咲く野原にて思う。(明

          高浜虚子選『子規句集』散文訳アーカイブ第2週

          高浜虚子選『子規句集』散文訳アーカイブ第1週

          企画「子規句集散文訳」アーカイブ ここにTwitterでの企画 #子規句集散文訳 をまとめ直してアーカイブ化していきます。必要と思われたところは修正しています。 第1週(2023年5月12日)趣旨 辰彦 @tatsuhk #俳句 を学ぶために #子規句集散文訳 という企画を始めることにします。高浜虚子選『子規句集』から句を選び、散文訳とコメントを付して平日20時にツイートします。岩波文庫の本から1頁につき1句拾っていき、第一期は全21句の予定です。正岡子規の句を通じて

          高浜虚子選『子規句集』散文訳アーカイブ第1週

          試験直前のメンタルを自分に言い聞かせる

          試験が近づいてくるとメンタルがやられてくるもの。そういうときは理想的な最高点を取ろうと猛勉強するのではなく、現実的に合格点をすこし越えるぐらいの水準を目指して落ち着いて勉強を続けることだ。 試験直前は知識の穴を一つずつつぶす形になっていくと思われるが、そういう作業は知識の穴が見つかれば自信を失い、わかっているところを補強することになれば空虚だ。完璧主義的な勉強はやればやるほど精神が擦り減ってゆく。 それに対して、ほどほどの合格点でいいと考えられれば、結局は全体でボーダーを

          試験直前のメンタルを自分に言い聞かせる

          【一句鑑賞(003)】 薄氷に透けて幸せそうに水 (池田澄子)

          薄氷に透けて幸せそうに水  池田澄子池か水溜まりかバケツの中か、薄氷(うすらい、春の季語)が張っていてそこから下の水が透けているような情景。ここで思い出したのが次の句。 『水の歳時記365日』の解説ではこの「春の水」を、「澄んだ」秋の水や「鋭く張り詰めた」冬の水との対比で「やわらかく『濡れてゐる』」のだとしている。 最初の句の情景でも、きっと薄氷は「やわらかく濡れている」。やはり春の要素が含まれた氷なのだろう。「幸せそう」な水は、来たる本格的な春に対する作者の期待の投影で

          【一句鑑賞(003)】 薄氷に透けて幸せそうに水 (池田澄子)

          【一句鑑賞(002)】 菌(きのこ)無き石炭紀とぞ茸喰ふ (矢島渚男)

          菌(きのこ)無き石炭紀とぞ茸喰ふ  矢島渚男石炭紀というのは地質時代の区分で古生代に属するらしい。句にある通り菌類が十分に進化していなかったために、死んだ木が完全に分解されずに石炭として蓄積されていったため、このように呼ばれると。 作者はこのようなことを「菌無き石炭紀と」知ったのだろう。作者はきのこを食べながら遠い時代の地球の生態系に想いを馳せる。(厳密には菌とウイルスは異なるが)新型コロナウイルスが猛威を振るう前の時代についても重ねて思いを巡らせたくなる。 地球に埋蔵さ

          【一句鑑賞(002)】 菌(きのこ)無き石炭紀とぞ茸喰ふ (矢島渚男)

          【一句鑑賞(001)】 餅の白今も昔も雑煮椀 (宇多喜代子)

          餅の白今も昔も雑煮椀  宇多喜代子安倍川餅にしても磯部焼きにしても、ありのままのおもちはまずは白い。 作者は「今も昔も」餅の色に共通するものを見出している。作者(宇多喜代子さん)の生きてきた時代を考えると、そこに戦争の影を認めることもできるかもしれない。それでもなお、おもちは白い。 正月、真っ白な気持ちで一年が始まる。しかし「真っ白な気持ち」と言ってみたとしても、毎年「真っ白な気持ち」を反復して積み重ねてきたのだ、とも言えるかもしれない。 正月に雑煮を食べるひととき。雑

          【一句鑑賞(001)】 餅の白今も昔も雑煮椀 (宇多喜代子)

          五七五を演出する——復本一郎『俳句と川柳』(講談社学術文庫)を読んで考えたこと

          復本一郎『俳句と川柳』(講談社学術文庫)を読んだ。この本を読み始めた理由としては、俳句において「滑稽」ってどういう位置付けだったんだろうという疑問があったからだ。 なんとなく「俳句は挨拶」とか連歌の「発句」が独立して俳句になったとかいうことは知っていた。ただ、どちらもわかるようでわからないという感覚があった(いまもまだあるが)。 『俳句と川柳』の主張としては、歴史的に俳句は連歌の「発句」(独立した十七音に由来し、川柳は七・七の十四音のテーマに対して付けられた五・七・五(「

          五七五を演出する——復本一郎『俳句と川柳』(講談社学術文庫)を読んで考えたこと

          ピザとサンドイッチ——西生ゆかり「胡瓜サンド」(第68回角川俳句賞受賞)感想(続)

          ピザとサンドイッチ——西生ゆかり「胡瓜サンド」(第68回角川俳句賞受賞)感想(続)↑前記事です(内容的にはほぼ独立しています)。 本記事は作品の内容に関わりますのでオリジナルをフレッシュな気持ちで鑑賞したい方などはご注意ください。 「季節の変わり目」のドラマ 「胡瓜サンド」における句の並び方は非常にドラマチックだ。そのドラマ性は、ひとつには隣接する句と句の並びから見てとれる。そしてそれは、春夏秋冬という互いに異なる季節の大分類に沿っても現れている。 この二つの要素はい

          ピザとサンドイッチ——西生ゆかり「胡瓜サンド」(第68回角川俳句賞受賞)感想(続)