評) 星を狩る夢にめざめて年新た  大木あまり

星を狩る夢にめざめて年新た  大木あまり

角川『俳句』2024年1月号、27頁。

夢は人の願望を投影したり記憶を整理したりするものだと言われます。私の場合だと、楽しいイベントなど印象的な出来事の後にははっきりした夢を見ることが多いです。

夢から目覚めて年が明けるということは、この夢は年末の経験に強い影響を受けていると考えられます。年末はクリスマスの電飾やテレビの特別番組などきらびやかな時期です。また、年末十二月は「師走」と言う通り何かと忙しく目まぐるしい時期でもあります。「星を狩る夢」を見たというのはそのようなキラキラ、バタバタする生活を反映しているのかもしれません。

ところで「星を狩る夢」とはどういうことでしょう。星は空の彼方に輝いています。星を狩りにいくには空を飛ばなければなりません。空を駆け巡って星を拾い集める夢だったのでしょうか。

「星を狩る夢」からは二つの願望を読み取れるかもしれません。つまり、空を飛びたいという願望と、キラキラしたものをつかみ取りたいという願いです。

空を飛ぶということは重力に左右されないということです。地上には重力を始め、自由を妨げる様々な制約があります。そして自由を与えられた人はキラキラとした自らが価値を認めるものを追い求めようとするでしょう。

つまり、「星を狩る夢」は「星」という憧れの対象への意識と「空を飛ぶ」という自由を妨げるものから解放されたいという願望を反映している、そのように考えられるかもしれません。

私たちはさまざまな憧れや自由を求めています。それが夢となって表現されます。しかし、夢はいつかは覚めてしまいます。この句で、夢から覚めて「年新た」となるということは、そのような願望からの一種の諦めを経験して新しい年を迎える覚悟を経験しているように思えます。

この句は、夢を見ていた時の夢心地を糧にして現実を引き受けるという瞬間を印づけているのかもしれません。


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