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「ヒマワリが咲いて、自分が変わる。」みたいな話

ベランダでヒマワリが咲いた。


娘の雑誌に付いてきた付録で、
種を2つ植えて、しばらく経って芽が出て、
1つは枯れてしまったけれど、もう1つは背を高くして、
そして、小さな花を咲かせた。

親指と人差し指で〇を作ったくらいの大きさの、小さな花が咲いた。


うちのベランダにヒマワリが来てから、
花屋の前を通ったときに、
ヒマワリが目に入るようになった。

ヒマワリと一括りにしても、いろいろな種類があることを知った。

形や大きさも違うし、
同じ黄色でも、
少しクリーム色を混ぜたような控えめな色もあれば、
子どもの満面の笑顔みたいな明るい黄色もある。

種類や個体の違いに、気付くようになった。

ヒマワリは、ずっと、そこにあったはずなのに、
うちのベランダにヒマワリがやってきたことをきっかけに、
花屋のヒマワリが見えるようになった。

変わったのは、自分の方だ。

自分が変わったことによって、自分の眼に映る景色が変わった。


*****

何かを調べたり・知ろうとしたりするとき、
「自分が変わる」ということに対して開かれた状態でなければ、
「何かを分かる」ということには至らないのかもしれない。

自分が閉じた・固い状態で、調べたり・知ろうとしたりするのは、
凝り固まった「自分」と「自分が見ている景色」を、
再確認し再生産するに過ぎず、
新しい発見への窓を自ら閉ざしているのだろう。



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