見出し画像

母と鰹。

今日は母の日。僕には一人の母がいます。僕が生まれて約20年間同じ屋根の下で過ごしてきました。

こんなこと、我々人間からすると何の変哲もないことでしょう。

しかし、魚は母を認識しながら魚生を過ごしているのでしょうか?


早速ここでを例にしてみる。

鰹は一度で10万〜100万粒ほど産卵し、約25時間後に孵化する。、

その時母親はすぐそばにいるのであろうか。

ましてや、部屋の外から産まれた姿をカメラ片手に覗きこむ父の姿は?

いくつもの疑問が浮かぶのだが、
答えはわからない。

というよりも、知るよしもない。


鰹にとって離乳食はプランクトン。

「どちらから来られたのですか?」と聞くと
「ずっとここに住んでいますよ」と質問した私に対して疑念を抱きながら答えてくれるだろう。

「趣味は何ですか?」と聞くと、
「ジェットコースターに乗って日本列島を旅することさ」と健気に答えてくれるだろう。


鰹になりきって空想仮説を膨らませているなか、ひとつ浮かび上がることがあった。


それは

魚にとって母は「海」なのではないか。

僕は生まれて20年間、母も生活する家に帰り、ご飯を食べ、布団のなかで幼い頃の写真を見て隣に映るモノクロの母を見てみたり。
目を覚ましたと思ったら母の作ったご飯を食べる。

母という存在は同じ空間で過ごしてきた時間と与えられた愛情が重なり合い子は母と認識するのでしょう。

もし赤の他人が母になりすましていても子は勘違いする恐れは十分にあると思う。産まれた時の記憶は写真でしか振り返れないから。



ここでもう一度。

魚にとって母は「海」なのではないか。


離乳食は海の恵みである。

出身地はここ(海)である。

趣味は黒潮に乗って泳ぐこと。


今日は母の日、鰹は母に何を贈るのか。

そんなこと知るよしもない。



母の日なので
人間にとっての母。鰹にとっての母。
双方を強引に紐付けてみました。

こんなの読んでくださりありがとうございます🐟






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?