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人は便益によってのみ不正を犯すのではない【書籍から学ぶ】

みなさんこんばんは、福田達也です。

今日も前回に引き続き行動経済学の勉強をしていきます。本日読む本はこちら。行動経済学の大家、ダン・アリエリー氏による『ずる: 嘘とごまかしの行動経済学』です。

シンプルな合理的犯罪モデルの不一致

シンプルな合理的犯罪モデルモデル(SMORC)において、人は(1)犯罪から得られる便益、(2)つかまる確率、(3)つかまった場合に予想される処罰の3つを天秤にかけ、ひとつの犯罪を実行に値するかしないかを判断する。

しかし、私たちの不正の度合いを見てみると、SMORCでは説明のつかないことが非常に多い。これを証明するため、書籍では2つの実験を行っている。

1つ目の実験は、テストの点数に応じて報酬を支払う実験を行い、不正の程度を比較するものだ。不正をしやすい環境を作ると被験者は実際に2問程度の不正を行った。しかし、(1)犯罪から得られる便益や(2)つかまる確率を変えたところで、不正の度合いはほとんど変わらなかった。むしろ、便益を非常に大きくするとごまかしの度合いが小さくなるという結果すら出たのである。

2つ目の実験は、目が不自由な人とそうでない人に対して人々がどう振る舞うのかという実験だ。SMORCによるならば、不正が発覚する確率の低い、目の不自由な方からぼったくりをしようとするはずである。ところが、多くの人はむしろ目の不自由な人に対して、自分の売上を多少犠牲にしてでも親切であることを選んだ。

これらの結果から、筆者が立てた仮説がこれである。

わたしたちは一方では、自分を正直で立派な人物だと思いたい。鏡に映った自分の姿を見て、自分に満足したい(心理学者はこれを自我動機と呼ぶ)。だがその一方では、ごまかしから利益を得て、できるだけ得をしたい(これが標準的な金銭的動機だ)。

~中略~

ここで、わたしたちの驚くべき「認知的柔軟性」の出番となる。この人間的能力のおかげで、わたしたちはほんのちょっとだけごまかしをする分には、ごまかしから利益を得ながら、自分をすばらしい人物だと思い続けることができるのだ。この両者のバランスをとろうとする行為こそが、自分を正当化するプロセスであり、わたしたちが「つじつま合わせ仮説」と名づけたものの根幹なのだ。

私たちは自分は正直な人間だと思いたい

本書の仮説は、私たちは自分自身を正直で立派な人間であると思いたいという欲求と、一方でずるやごまかしによって利益を得たいという欲求を同時に兼ね備えているというものです。そしてこの2つの狭間で揺れ動きながら、どうにか自分は正直であると正当化しながらも、利益を大きくするバランスを取ろうとしているというものです。

この話には確かにと納得させられました。確かに、自分が不正や不正に近い(と自分で思いこんでいる)ことを行っている時には、常に正当化する理屈を探している自分に気が付きます。そしてこの正当化は、他の誰でもなく自分自身を納得させられるかどうかにかかっています。

例えば職場でボールペンを拝借する時に、『業務で必要だから一時借りるだけだ』と考え、拝借した後も『借りてまだ返していないだけでいつか返す』と思ったり、そのうちに職場でボールペンが補充されるにつれて『今更返しても意味がないし困るだろうから、自分が持っていてあげよう』などと考えてみたり。こういった一つ一つの言葉が自分に対する正当化です。

そして、正当化しきれないような大きな不正についてはブレーキが働くようです。実験の例では、テストの報酬を1問50セントから、10ドルに変えるとごまかしが減ったという結果が出ていました。私たちの身近な例だと、職場でボールペンを拝借する事はできたとしても、100円玉は貰わなかったり。あるいは、ビニール傘は盗んでも、高級そうな傘は盗まなかったりするのは、このブレーキが働いていると言えそうです。

終わりに

今回は、私たちの不正が合理性によってのみ成り立つのではないということを説明しました。そしてわたしたちは、自分は正直だと思いたい動機と、ずるで利益を得たい動機の間で、どうにかバランスを取っています。

私の尊敬する人は、いつも事実は一つでも解釈は無数にあると言っていました。そして、人は頭のいい生き物だから、いくらでも自分に都合のよう解釈を考えてしまうと。

こういう自分の癖にも目を向けながら、どこかごまかしている事はないかと振り返っていきたいと思います。

本日も読んでいただき、ありがとうございます。
また次の記事でお会いできることを、楽しみにしています。

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