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「音が記憶する記憶」

「下校の時刻です。教室、校庭、構内に残っている生徒は下校してください」

 放送部のアナウンスが小学校の界隈に響き渡る。
 そしてアナウンスの後に流れ始める音楽。
 わたしはその音楽を今でも聴いている。

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 わたしは14歳の誕生日の前日、あることが原因で記憶を無くした。全ての記憶を無くした訳ではないが、何人かの友人の名前や顔を忘れたり、親兄弟の顔が曖昧だったり、思い出といった類のものはほとんど無くしてしまった。恐らくいい思い出も悪い思い出も。
 何かの拍子に突然思い出したりを、現在も時折りくりかえしている。
 それは時に、におい、音、目にするモノや刺激、親兄弟や古くからの友人との会話だったり。

 そんなわたしにとって1番深刻だったのは、これまでのわたし自身がどんな人物だったのかを忘れてしまったことだった。
 これもまた、全て忘れた訳ではなく、何かが起きた場合や、何か思うことがあった時、今迄のわたしはどうしていたのか、今迄のわたしは何を考えていたのか、このあたりが完全に欠如してしまった。
 だいたいわたしはこんな人物だと客観的に理解をしているのと、わたしの周りの人達の証言や接し方などで、無くしてしまった記憶と帳尻を合わせていくという、とても変な感じで生きてきた。
 そして今もそのように生きている。もうそれがわたしとゆう新しい自分になってしまった。
 
 今回の記憶のトリガーは音楽。

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 18歳の時、場所はタイ🇹🇭バンコクのアンバサダーホテル。
 1階のロビーでビールを飲みながらタバコを吸い、プロの外国人ピアニストが夜な夜な演奏するレストランに、ほぼ毎日耳を傾けていた。
 滞在していた間、だいたいリストやショパンなどといった、ピアノがメインのクラシックが主に演奏されていた。
 何日目かの夜、ある1曲が不意にわたしの記憶のトリガーを引く。

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 わたしは小学生だった。夕方の校庭。小学生からすればとても大きな遊具。その遊具の1番高いところに登って、辺りに響き渡るスピーカーから流れるピアノの音に耳をすませている。
 オレンジ色に染まる視界。
 下校する生徒たちの出す音は様々。
 下駄箱の足元に敷きつめられた、何の意味があるのかわからない板の音。
 習ったばかりの曲を演奏する縦笛の音は、あの失敗した時にでる「ぴゅいーー!!」の音がメインで鳴っている。
 どこかから聴こえてくる先生の怒号。
 必殺技の技名を叫びながら行われているドッジボール&サッカー。
 なにがそんなに楽しいのかわからないけど、とにかくたくさんの笑い声。
「バイバ〜イ!」の声はいたるところで聴こえてくる。
 そんな暖かいノイズの嵐の中でも、あのピアノの音は全てを包んでいるように感じていた。
 わたしはそれら全てが、色と音の交わりが好きだった。
 その音楽は、入学した時から卒業するまで、下校の時刻になると必ず流れていた。

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 レストランで演奏されるピアノから、小学生の頃の記憶が少し蘇る。
 わたしはフロントへ行き、ボーイさんにいま演奏しているピアノの曲のタイトルは何か、ピアニストに訊ねてもらう。
 わたしはこのホテルに滞在している間、夜な夜な何本もビールを飲みながら、何度もこの曲をリクエストしては、無くしていた記憶にひたっていた。

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 その後日本に帰ってから、今に至るまで時折、あの下校の時刻を知らせる音楽を聴いている。
 わたしにとって小学校の頃を思い出せる、とても大切な音楽。

 George WinstonでアルバムAUTUMNから、Longing/Love。

 今日はこの音楽を聴きながら眠ろう。

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