習慣にしようとしていたことがいつの間にか途切れてしまっていた話
はじめに
趣味を探したり、スキルを身に付けるために新しいことを始めるのはとてもいいことだと思う!
でも、思い立った時の気持ちや熱意は時間が立つとともに薄れていき、気づいたら忘れてしまっているということはよくあることだ!
こうなった理由として幾つかあるし、自分に合わないと思って辞めた場合はそれでいいと思う!
ただ、そこそこやりたいという熱意を持ちつつも、いつの間にかやらなくなってしまっているのはとても勿体ないことだ!
経験
僕も少し前に電子ピアノを初め、最初の2週間くらいは毎日弾いていたけど、研究や旅行などで忙しかった時や物理的にピアノが弾けない期間を経てやらなくなってしまったことが二回くらいある!
勿論、ピアノを弾くことは楽しいと思っているし、毎日やりたいという思いはあるが、中々習慣化できないでいる!
しかし、最近始めたnoteの投稿は2~3週間くらいずっと継続して出すことができている! (今のところ習慣化に成功しているといったもいい!)
この差は何か考えたところ、以下の違いがあることが分かった
習慣化に失敗した場合と成功した場合の比較
物理的なものが必要か、そうでないかの違い
具体例を用いて説明する。
ピアノを弾くにはその場にピアノがないと弾けないため、弾ける場所が制限されたり、ピアノをどこかに持って行って弾くにしても持ち運ぶ労力が掛かってくるので、日常の突然のスケジュール変更等に柔軟に対応できない!
一方「noteの投稿」はアカウントがあれば、どこにいても、どの端末でもできるので、場所を意識する必要がなく、突然の外出や飲み会などのスケジュール変更に柔軟に継続できる!
最初の一週間でこれをやっていないと気持ち悪いという状態に持って行けたかどうか?
これはやっていく中で感じたこと!
noteの投稿は最初の一週間で毎日投稿しないと心地が悪くて寝ることができないと感じた。
つまり、早い段階から習慣化する方向に自分自身が向かっていた!
例えば、部屋の掃除などでも「モノが床に落ちていたら気持ち悪いからすぐに拾うようにしている」感覚が近いと思う!
これは自分の理想またはあるべき姿と異なるからその状況から脱却したいという思いの表れだと思う!
noteの場合は「毎日投稿していない状態は自分の理想と異なるから毎日投稿して理想の状態に持って行こうといった心理が働いている!」
しかし、ピアノは毎日弾くことを理想の姿として思い描いていなかった!
このイメージの差が習慣化に大きな影響を与えたと思う!
始めるまでのハードルの高さ
僕の場合、ピアノを弾くために一回閉まっているピアノを取り出す必要があり、少しの労力がかかる!
これは一回一回は大した労力ではないけど、毎日やろうと思うと徐々に面倒になっていくことで継続のハードルを上げてしまっていた!
逆にnoteはPCを付けて、クリックするだけで始められるので、一回一回の労力がほぼ0と言ってもいい!
以上から習慣化するには以下の3つが大事だと分かる
・物理的な道具が必要ないものから習慣化を試みる!
・自分の理想をイメージしながら取り組む!
・一回一回始めるまでのハードルを下げる!
これからも習慣を続けるためには
今続いているからと言ってこれから先もずっと続けていけるとは限らない!
何か大きな生活の変化があった場合は難しいかもしれないし、途中でやめることがあるかもしれない!
それでも続けていきたいなら、自分の理想やありたい姿を常に思い描き続けるべきである!
今日の独り言
・数学は「抽象概念の操作」だという意見を聞いてなるほどと思った!
・具体と抽象を意識することで、全体や構造、その繋がりが見えてくるんだなと思った!
・ふと、考えることに対する集中力や持久力がないと感じたので、ググってみると思考体力といった言葉を発見し、今の自分に正に欠けているものだと思った!
・昼頃にお好み焼きを作った!
・行動に移す前にこれは効率がいい方法か正しい方法かをよく精査してから行動に移すことが大切!
・腹筋が割れそう!
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