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「捨てようとしない」はよくないけど、「捨てられない」ってなんかいいよね

堅苦しいのが続いてしまったので、ゆったり読めそうなものをシェアしたいなあと思いました←
懲りずにお付き合いくださると嬉しいです。

わたしが今年の4月まで住んでいた宿場noie坂勘というシェアハウスがありまして。

そこのオーナーさんが旅する古物商-hito.to-というのをやってるんですよ。
その人と話していた時に

「ぼくは結局捨てられないんだよね。」

ということを言っておりまして。
ちょうどそのシェアハウスに住み始めたころは、わたしは逆に断捨離の真っ最中。
もともとなんでも溜め込んでしまうタチなので、何回も廃棄場を車で往復して、なんとか処分しました。
大量に捨てまして、数百kgはあったんじゃないかなあ。

別に捨てることが正義だとは思っていませんでしたが、捨てないと息苦しくなるし、新しいものが入ってこない説あるよね〜っと思っておりました。

ところでその坂勘がある長野県塩尻市には、カエル館というリサイクルショップもありまして。そこの方に
「リサイクルするよりも回収したものをそのまま販売した方がエコ」
というお話をいただいて、確かに〜!!とホント当たり前のことなんだけど、目から鱗でした。

今わたしはシンプリストな生活をしているので、とても持ち物が少なくなってきています。
物持ちはいい方だし、わたしにとっては結構あっているようで、呼吸がしやすいなあ〜楽だなあ〜と感じています。

ただやっぱり、どうしても日常を生きているとなんでか物が増えていってしまう。
だから日常的に捨てることをしないといけないのだけど、その作業は

「自分にとって必要かどうか?手元に置いておきたいか?」

という選択をし続けることだと思います。
それは常に

「自分がどうありたいか?どう生きたいか?」

という質問をしている様で、迷いにくくなるなあと思いました。
なんだろ、都度都度Google mapで行き先を確認している感じ。

「ここ行きたいんだよ〜。で、この道を通りたいのね。この向きであってる?」

と頻繁に確認することで

「…そういえばわたし、どうやって生きたいんだっけ…」

っとなりにくくなる。
ものを捨てるって、関係ない様だけど、実はそういう作業の事なんだなあと思いました。

だけどやっぱ、お気に入りはずっと持っておきたいよね。

というわけで、カバーの写真はうちのばあちゃまが使っていたビンテージの目覚まし時計。コンセントから電源取るんですよコレ!
先日ばあちゃんの部屋を片付けた際にこの時計を見つけて

「この時計ちょうだい」

って小さい時に欲しがったなあということも思い出しました。
大事に。今度はわたしと一緒にいこうね。

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