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小説『海風』僕の話(3)【第一章を無料公開中】

 僕は宿に泊まる想定だったのだが、彼が強引に勧めるので外でテント泊をする流れになる。彼といると予定外なことばかりだ。今日の宿はどこにしようか?そう尋ねたのだが、微妙に噛み合っていない答えが返ってくる。
「ん?テント泊に決まってるだろ?」
「え?テントなんて持ってないけど?」
「俺が持ってるさ」
彼は背負っている大きいバックパックを自慢げに親指で指し示す。
「やけに大きいリュックだと思ったけど、テントなんて入ってるの?」
「当たり前だろ?ソロ用だけど二人なら寝れるぜ。お前、寝袋くらいは持ってるか?」
「いや、寝袋もマットもないよ」
「やけに小さいリュックだと思ってたけどさ……まじかよ」
結局、僕は寝袋を借り、彼はマットの上で上着を布団の代わりにして、一度試しに寝てみることになった。夕飯は途中のコンビニで買ったカップ麺。彼は用意周到なことにバーナーやクッカーを持ってきており、公園で汲んでおいた水道水を沸かして食べた。
「意外と涼しいね」
すでに暦の上では夏ではあるが、まだ五月。寒いほどではないが、夜はじんわりと僕らの体温を奪っていく。ましてや外で寝ることになったのだから、一応ライトダウンジャケットを持ってきていてよかった。
「涼しい風を浴びて食うカップ麺、至高の一品だな」
確かに外で食べるカップ麺は、体の内側に確かな温もりを感じさせる。二人してズルズルと麺を啜り、スープも飲み干した。既にテントの設営は終え、やることは特にない。焚き火をしたかったけど、よく知らない林の中で行うのは流石に……と思ったが、彼は既に自前の小さい焚き火台に薪をくべて火をつけ始めていた。一応地面には焚き火シートというものを敷いているらしい。
「こんなところで火をつけて大丈夫なの?」
「ここは共有地だから大丈夫。ちゃんと片付けもするさ」
「そうなんだ。焚き火いいね」
僕は羽織っていたライトダウンをテントへとしまうと、手を翳した。肌寒い時の焚き火は、命に優しい光を灯してくれる。彼が火吹き棒を使ってそこに酸素を送り込むと、一気に炎が燃え上がった。そしていつの間にか作っていたらしい、先端の尖った木の棒にマシュマロを刺して焼き始める。
「お前も食う?」
「ありがとう。色々と展開が早すぎるけど」
マシュマロの袋を受け取ったが、流石に僕の分の串まではないようだ。
「串ならその辺の枝で作れよ。ブッシュクラフトってやつだ」
そう言ってナイフを手渡されたので、実際にやってみることにした。適度な太さの枝を見繕い、先端だけを尖らせていく。鉛筆を手で削るのはこんな感じだったんだろうな、なんて思いながら親指で刃を押し当てて、シュッと削る手触りは爽快で気持ちがいい。昔にやったことがあるような、根拠のない懐かしさを感じていると、想定していたよりもうまくできて自分で驚いた。出来に満足しながら、白くふわふわとした砂糖菓子を焼き始める。遠火でじっくりと、全体が淡い茶色になるように回す。前よりはうまく焼くことができて、香ばしい香りと共に、口の中でふんわりとした甘さがとろけた。
「そういえば彼女もマシュマロが大好きだったな……」
誰に向かってでもなく、独りごちた。彼女はマシュマロがよく似合う。焼く前と焼いた後の鮮やかなコントラストは冬と夏の肌を彷彿とさせた。彼女には言わなかったけれど、なんだか似ていたのだ。甘くて子供じみていて、それでも美しくて聡明な彼女。別れてからの記憶はほとんどないに等しい。心に穴が空くというのは陳腐な表現だけど、初めて身にしみて理解した。失恋ソングなんてものの良さがわかったのも初めてだ。あの日以来、世界は徐々に色彩をなくし、薄ぼけて見えていた。部屋にいるとモノクロの世界に飲み込まれそうで、逃げるように、こうして歩き始めたのかもしれない。
「あいつは世界を愛していたからな……」
僕の言葉からかなり間が置かれた、やけに寂しそうに響くその言葉には、何も寄せ付けない重みと沈黙とが内包されていた。僕らは焚き火が消えるのを見届けて眠りにつくことにする。早く起きた代償として夜は短い。夜が長かった今までの僕にとって、それはちょうどいい気がした。

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◆完全独力で執筆(執筆・編集・表紙デザイン)の処女作

「海まで歩こう」
何かの啓示のように頭を掠めたその思考は、なぜか心にしっかりと触れて、確かな感触を持って留まった。フラフラと飛んでいた間抜けな鳥が止まり木を見つけたように。どうせならあの砂浜まで歩こう。そうしたら僕にも、彼女が言っていた海風が分かるかもしれない。そして、愛とは何なのかも。(本文より引用)

「バイト、大学、読書」という定型の生活を送る大学生の”僕”。
突然話しかけてきて「友達」になった”彼”や、
別れてしまった”彼女”との日々によって、
”僕”の人生に不確実性と彩りが与えられていく。
僕だけが知らない3人の秘密。徐々に明らかになる事実とは?

「愛とは何か」「生きるとは何か」「自分とは何か」

ごちゃごちゃに絡まった糸を解きほぐし、
本当の自分と本物の世界を見つける物語。

<著者について>
武藤達也(1996年8月22日生まれ)
法政大学を卒業後、新卒入社した会社を1年3ヶ月で退職。
その後は山と廃屋を開拓してキャンプ場をオープン。
3年間キャンプ場に携わり、卒業した現在は海外渡航予定。
ブログ「無知の地」は限りなく透明に近いPV数でたまに更新中。

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