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日没のリインバース 第二十二話 「生ける者と死せる者」

「隊長……」

 私は久々にため息混じりの声を漏らした。もう長月隊長は帰ってこない。それがわかったから。
 
 先ほどの戦いの最中に感じた違和感の正体。それはやはり、あの仮面の人物が、私たちの隊をこの2年に渡りまとめてきた長月トバリその人であるということだった。戦いの中ではその確証はなかった上に、何より隊長が奴らに加わって私たちを殺すという可能性を考慮していなかった。いや、考えたくなかったというのが正しいかもしれない。その可能性に蓋をしていた。だけど真実は残酷だった。彼は涅槃に与したのだ。いや、彼の意思ではないだろう。それでも私は許すことができない。この隊の長が私になるというのが、一番の頭痛の種ではあるのだけれど。

 奥の手を使った時。奴らから借り受けた忌まわしい魔道小銃を構えた時。正直に言えば、これで奴等の一人を討つことが叶ったと少し浮かれた。この隊ならば奴らに一矢報いることができる。私たちでも届きうるのだと。でも、その浮いた隙間は一瞬にして闇に呑まれた。撃ち放った弾丸、強力無比な魔法、剣による攻撃、全てがまさに宙に消えた。体が浮き上がる感覚は初めてで、気持ちがいいのか悪いのか曖昧だった。そして一瞬にして世界は黒一色に染まる。何が起きているのか分からなかった。この規模の魔法を同時に。これが奴らとの実力差なのだと絶望に襲われた。届いたかに思われたその手は何も掴むことはなかったのだと。暗闇の中、私はここで死ぬのかと本気で考えた。全き暗闇は死の恐怖を増長させると知った。パニックに陥りそうになりながら、必死で耐える。お母さんも、お父さんも、妹も、弟も、みんな奴らに殺されたのだ。まだ死ぬわけにはいかない。復讐だけが私の生き甲斐だったのだから。

 だけどその暗闇の中にあって、一人。光を纏った人影が姿を現した。天使か妖精。そんな言葉がぴったりな可愛い少女だ。宙に浮いた小柄、いや性格に言えば高校生くらいなのだけれど、大きさは私たちの半分以下だから、なんと表現したらいいのか分からない。その子はソフィアと名乗った。私たちは一様に驚いたけれど、弥生隊員は少し普段と違う取り乱し様だった。何か知っているのかもしれない。あとで聞くとしよう。

「静かに!ツクヨミさまに聞かれては困ります。失礼ではございますが、黙って聞いてくださいませ。霜月リオコさま、弥生カルラさま、嵐山ハヅキさま、北条サツキさま。お初にお目にかかります。わたくしはそこにおります我がマスター、長月トバリさまのアシスタントAIのソフィアと申します。手短に用件をお伝えしますので、よく聞いてください」

 伝えられたのは衝撃の事実だった。ルナンを人質に取られ、やむなく涅槃に協力していること。そのために正体を隠して私たちを殺す必要があったこと。そして、逃げ延びるための作戦。

 「それでは私についてきてください。手頃なクレーターに逃げ込み、クレーター上部を土魔法で覆い隠します。死体の偽装は魔晶石を破壊することで代用しますのでご安心を。あまり時間をかけると怪しまれますのですぐにきてくださいませ」

 ソフィアの声はどこか人間味に欠けた不思議な響きがあった。でもそれがなぜか心地よく、皆を冷静にさせる作用があったのかもしれない。とにかく、私たちを生かす方法を隊長が必死で立案していたのだ。私たちは黙って信じるしかなかった。それにしてもあの容赦のない攻撃はかなり危なかったのだが……隊長は私たちの方を試していたのかもしれない。もしくは自分の新しい力の実験。いや、合理的な彼ならば両方を兼ねてと言ったところだろうか。なんともお節介な隊長だ。

生命樹の氾濫セフィロト!」
 
 私たちは地面の下に潜り、隊長が魔法を唱える声を聞く。ツクヨミとかいう狐面の女性が監視役らしいが、確かにただ私たちを消すだけでは簡単に見抜かれそうな鋭い眼光の持ち主だった。彼女の視界から私たちの姿と魔素揺らぎを隠しつつ、おそらくは派手な魔法で各属性の魔昌石を破壊することで、そちらに注意を惹き死を偽装するという作戦のようだ。流石になかなか考えられている。隊長らしさを感じる作戦だ。

 しばらくして、2人はもう去ったのだとソフィアから伝えられる。彼女は地面などをすり抜けて移動していくあたり、そういったものに干渉されない特殊な存在らしい。また、マスターの許可した方々以外には見えないのです、と言っていたので偵察など諜報的な手段としてかなり有用そうである。本来の役割とは違いそうではあるけれど。

 こうして私たちは生き残った。完全に隊長の掌で踊っていたに過ぎないと言うのは、少し悔しい。それにしても、ここは一体どこなのだろう。

「ソフィアさん?質問をいいですか?」

「あと1分ほどでマスターの元へ戻りますが、それまでの間でしたら問題ありませんよ」

「ここは……」

「お前は何だ?何で明光の姿をしてやがる?」

 今まで必死に我慢していたらしい弥生隊員が私の声を遮って怒鳴りつけた。明光とは誰なのだろう。というより、いつもいつも突っ走っていく。私が隊長だというのに。本当に扱いづらい人たちばかりだ。長月隊長、助けてください。

「わたくしは長月トバリさまのアシスタントAIです。掻い摘んで伝えますと、この世界における全般的なサポートをしております。この姿はマスターの記憶中で、最も思い入れが強いと判断したキャラクターを転写したものです」

「明光は生きてんのか?」

「それは存じません」

「チッ。クソだな」

 全くいつも口が悪いのはどうにかならないものなのだろうか。それよりも早くここがどこなのか聞かなくては。私は何か聞こうとするハヅキを抑えて質問する。

「ソフィアさん、ここはどこだかわかりますか?」
 
「ここはリベリカ合衆国にあるモニュメントバレーと呼ばれる国立公園です。……申し訳ありませんが時間ですので失礼致します」

 そう言うとソフィアはスッと姿を消した。不思議な存在だ。いや、それより……リベリカ?完全な敵国の只中で置き去り……。私はため息をグッと我慢して背筋を伸ばす。奴らを殺すまでは私は生きなくてはならない。この戦闘以外は最悪な部隊を率いてでも。たとえいつか、元隊長と刃を交えることになろうとも。

 ――

 俺は内心で一安心する。魔力はそこそこ使ったが、なんとか上手くやれたようだ。あの場所がどこかは分からないが、アイツらならきっと生き残れるだろう。ツクヨミをチラリと見やるが特に違和感はない。疑われてはいないようだ。1つ大きな仕事を終えてほっと胸を撫で下ろす。だが、今日は連戦だ。気を抜いてはいられない。ゲートを抜けた先は司令部だった。しかし、親父の姿は見えない。いるのは伝令の若い兵士だけだ。

「おい、そこの雑兵。司令官はどこじゃ?やつ一人とここで落ち合う約束だったはずじゃが」

「それが……長月司令官は息を引き取られました」

 親父が死んだ?言葉だけでは実感が湧いてこない。

「嘘だったら殺すぞ?」

「う、嘘であれば良いと我々も何度も思いました。ですが事実です。司令官がいれば、ルナン軍はこのような惨状になっていなかったでしょう」

「ふむ、確かに状況は悪いらしいの。しかし、よもやあの程度でくたばるとはな……凡たる者はここまで弱いか……すまんの」

 俺はただ突っ立っている。声は聞こえても何も響いてこない。

「司令官は弱くなどありません!仇を討たせていただきます!」

 伝令がそう叫ぶと司令部に複数の兵士がなだれ込んできた。そうだ。このツクヨミこそ親父の仇なのだ。

「シヴァ。こいつらを殺せ。それで代わりじゃ」

 俺は考える。どうすべきなのか。ここで彼らを殺して何になる。でも殺さなくては、ルナンが滅びるとまではいかずとも、多くの人間が死ぬ。彼らをどうにか生かす作戦は……だめだ。思いつけない。くそ。そう考える間にも兵士たちは魔法武器で切り掛かってくる。侍の国らしい戦い方だ。親父も銃などは好かんとよく言っていた。ツクヨミは姿を消している。透明化もできるのか。ああ全くもって最悪だ。やるならせめて正々堂々と……俺は闇と光の刀を両手に構える。乱戦では二刀流に限る。
 
「司令官の仇!去ね!外道が!」

「無念を、今ここで晴らす!」

 罵声の波が鼓膜を揺らしている。俺だって仇を殺してやりたいさ。本当に……。親父は尊敬されていたんだなと改めて知る。そして俺は感情を無にし、ひたすらに切り伏せ、切り捨てる。殺す……殺す。次々と援軍が入ってくるが、俺はひたすらに殺す。幾度となく切りつけられても、何も感じない。それは俺の纏っている魔力が強化されたのか、それともこのローブによるものか、ただ、感じていないだけなのか。もうどうでもいい。俺にはどうしたらいいのか、分からない。もうやめてくれ。

 あらゆる色の魔素が宙を舞っている。魔素の揺らぎを抑えると、苦痛も息切れも瞬時に消えた。これだけやって、スイッチひとつで息ひとつ切れなくなるとは……俺も人間を辞めてしまったようだ。これは、本当に自分がやったことなのか。全ての実感が乏しい。あらゆる感情が感じられない。そうか、魔素の揺らぎが消えるとこうなるのか。俺が幼少期に求めていた境地がこれか……。虚しいものだ。

「終わったようじゃな。よくやった。帰るぞ」

 いつの間にか現れたツクヨミはなんの感慨もなさそうに告げる。コイツを殺せるくらいに強くなってやる。それには何の意味もないとわかっていても。それまでは信頼と力を得てやる。この涅槃の中で。

「ああ。帰ろう」

「帰ったら最後の試練がある。ま、今日の中で一番簡単な仕事じゃな」

 まだ何かあるというのか。どこまで俺を利用し弄ぶ気なのか。だが、今の俺ならどんなことでもやれる。いや、ここまできたらやってやる。

「なんだって良い。さっさとゲートを出せ」

 顔は見えないが、ツクヨミは少し笑ったように思えた。何がおかしいというのだろう。おそらく気のせいか。そして、出されたゲートを潜ると塔へ戻った。また会議室だ。今日は死神と十字架と太陽はいない。道化とツクヨミと俺だけのようだ。

「やあやあ!お帰りなさいシヴァさん!試練を無事に無事に、乗り越えてきたようですねぇ!コングラッチュレイションズ!」

「最後の試練があるんだろ?内容は?」

「おやおや!そう焦らずとも!なあに、簡単明瞭、明瞭至極なお仕事ですよ!ボタンをおひとつポンと押すだけなのですから」
 
 ボタンをひとつ押すだけ?なんのボタンだと問う前にツクヨミが付け加える。

「ルナンの本国へ核魔導兵器を落とす。そのボタンを押してもらう。史実とは少し違うがミサイル式じゃな」

「核魔導兵器?なんだそれは」

「実は実はですねぇ。魔素というのはもっと細かな粒子から構成されているんですよ。そして、その粒子たちの起こす核分裂を利用した……」

「要は大勢死ぬ遠隔爆弾のようなものじゃ。リベリカが作ったことになっておる。数十万は死ぬじゃろうが、戦争を終わらせるため、これ以上の余計な犠牲を増やさぬために、必要な犠牲じゃ。割り切れ」

 一発で数十万もの命を奪えるだと……そんなものがすでに手中にあったというのか。それじゃあ一体なんのために俺たちは命をかけて戦ってきた。こいつらの掌の上で戯れあっていただけだとでも?親父はなんのために死んだ?

「そんなものがあるならもっと早く使っていればよかったんじゃないのか?それこそ、どれだけ余計な犠牲が出たと思っている?」

 声に怒気を混ぜる。これは怒るべきだと理性が判断しての怒声だ。感じたわけではない。心の底から感じることができない。これじゃまるで俺が道化だ。

「開発できたのがつい最近でな。悪気があるわけではない。研究と実験に必要な犠牲じゃ」

 どこまでも命を愚弄しているようにしか思えない。自分たちは絶対的な力を持ち、不老にさえなれる。あまつさえ死んでも転生できる。その特権を使って自分たちの目的を達成するために、必要な犠牲だと言って命を弄ぶ。こいつらは平和のためと謳ってはいるが、本当にそれが平和につながるのか?自分たちの快楽を満たすための単なる建前じゃないのか?

「さあ、こいつを押せ」

 そう言うと、大きい手持ち鞄のようなものが2つに割れ、中からいくつかの複雑な魔法陣と目立つスイッチが現れる。これを俺が……数十万人のルナンの命がたったこれだけで失われる。俺がこれを押すだけで。なんという重み……手が震え始める。

「できんのか?なんだって良いと言っておらんかったかの?それともここで死ぬか?」

 確かにそうだ。なんだってやってやると思っていた。だが。俺の想像を遥かに超えている。こんなこと、人ひとりが負うべき罪の重さではない。そこまでの死を背負って俺は生きられるのか。そんなことをした上でどうして生きなくちゃいけない?どうしたらいい。こいつらにこれ以上の横暴を許さないことが、俺にできる最大限のことかもしれない。なんにしても、ここで俺が手を汚さなくても、結局、運命は動かせない。こいつらにはまだ勝てない。俺はまだ弱い。どうしようもなく。

「これを罪だとでも思っておるんじゃったら、お主はバカじゃな。これは正義じゃよ。いや、正義だ悪だなどくだらん。どんな事象にも正義の面と悪の面がある。それだけじゃ。光が強ければ闇も濃くなる。英雄は敵から見れば虐殺者じゃ。これを押せば、お主は英雄でもあり、虐殺者でもあることになる。だからどうした?其の2つは矛盾などせん。お主が自分を罪深いと信じるかはお主の裁量じゃ。ワシは少なくともこの涅槃の行いを一切恥じてはおらん。自身の行いもな。お主がどう思うかは勝手じゃがの」

 覚悟を決める。道が修羅であっても、俺は罪を背負って生きる。彼女は言った。苦しくても辛くても生きろと。生まれてきたのは誰かの願いだと。だからきっとカンナは生きている。この世界でなくとも。いつか俺が会う時には、逃げた自分じゃなく、向き合った自分で在りたい。それだけだ。生きる理由はそれだけで十分だ。

「押すぞ」

 拳を握りしめると手の震えはおさまった。ボタンを拳で叩くようにして押す。すると俺の魔力が流れ、魔法陣が起動した。回路を赤い光が伝わり、多数の魔法陣が同様の光を放ったのちに消える。これで発射されたのか?もうすぐ数十万の人間が死ぬのか?なんの実感もない。それが……どうしようもなく怖い。この怖さから逃げないこと。それが俺にできる唯一のことだ。全てを直視して、生きることだ。

「これでお主も涅槃の一員じゃ。シヴァ。基本は自由に行動してもらって良いが、時々チャットで指令は送るからの。無視するなよ?」

「いやはやいやはや!素晴らしいですねぇ!新メンバー!嬉しい限りですよぉ!シヴァさん!ともに世界をより良い方向へ導いていきましょう!ふふふふ!胸が躍りますねぇ」

「よろしく頼む」

 俺は心にもない返事をする。この仮面があってよかった。それすら奴らの策略かもしれないが。

「ところでツクヨミさん、ワタシのことはジョジョと呼んでくださいよ!シヴァさんはなんで既にシヴァ呼びなのですか!ずるい……ずるいですよ!」

 ガヤガヤと騒ぐ道化を無視して、俺はゲストルームに戻る。今日はどっと疲れた。本当に。本当に。
 
 


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