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一つくらいCでもいいじゃないか

成績表はいつもBが多い。可もなく不可もなく、B。これを見るたびに、もしかして人間性まるごとBなんじゃないか、と思ってしまうのは私だけだろうか。

実際そうとも言えるというか、少し私の性格を反映している部分もある。70点を確実に取れる国語と、50点しか取れないんじゃないかと不安な物理があったら、大嫌いで苦手な物理にやたらと時間を割いてしまう。本当は国語を高めたいのに、リスクの方がすごく目についてしまう。結果的に物理の点数をちょっとだけ上げて、成績表にはBが2つ、仲良く並ぶことになる。

AとCでもいいじゃない。そう気づき始めたのもすごく遅くて、それまではなんとなくBが並んだ成績表に釈然としない気持ちを抱いていた。あんなに頑張っているのに、なんであんまり満たされないんだろう。

物理の苦手さは認識していたから、Bで喜んでいいはずだし、もっと大事なのは得意だと思う国語にAをつけたいと思うことだ。だけど、そこを努力量で判断してしまうことがある。

これは成績だけじゃなくて、今の私にもある部分。
やりたいことが複数あったり、色んなことの締め切りが重なってくるとき。いくつもの「やりたいこと」が重なってくると、どれかが私の中で順位づけられて、相対化されていってしまう。そしてそれが「今やらなければならないことに重なってくるもの」として邪険に扱われてしまう。その状態に薄々気がつきつつも、優先順位の高いものからどうしても取り組むしかない。頭の隅に残っているものを消化しきれないまま置き去りになって、こなすことに集中してしまう。

もちろん本当は全部平等に頑張りたいけれど、それができなかったらもうちょっとCがつくことを恐れなくてもいいのかもしれない。そんなことより、伸びる部分さえBで立ち止まっていることを危惧した方がいいのかもしれない。いつだってやることは山積みなんだから。リスクを恐れていては何もできない、を他人事にしないように、ここからも頑張るしか道はないみたいだ。


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