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拠り所が出来たら、自由になった。

学生を卒業し、社会人と呼ばれるようになってもうすぐ二年が経とうとしている。わたしはようやく、やっと、はたらくを自由に考えられるようになってきたのかもしれない、と最近思う。

就活は苦戦した。それなりに準備して、割と自信をもって挑んだはずが、蓋を開ければ行きたいと思っていた会社からの内定はなかった。結局、ある会社の総合職か、ある会社の事務職の選択となった。

わたしは総合職で自分の可能性に挑戦してみたかった。この20年間引越しもしたことなかったけど、転勤はできなくない気がしたし、営業職も人見知りだけど、できなくないと思う、そんな根拠のない自信があった。なにより総合職を選ばないことに、どこか自分の中で逃げのようなものを感じていた。

しかし、両親から猛反対された。父からは若いころ経験した転勤先での営業の辛さを語られ、母は思い詰めて体調を崩した。そんな両親の姿に、「何となくできる気がする」という根拠のない自信と、「何となく事務職を選びたくない」というちっぽけなプライドだけで、わたしは総合職を主張し続けることが出来なかった。経験したことのない社会人生活に、両親の猛反対を押し切る確固たる根拠や信念を持てず、結局事務職を選ぶことになった。

その後、就活を終えてからわたしは半年間内定先ではないベンチャー企業でインターンをし、春からは内定を受諾した会社の事務職についた。

二つの会社はまるで対照的だった。社員数、仕事場の広さ、BtoBかBtoCか、自身の仕事の及ぼす範囲、ワークライフバランスの整い具合…違いを挙げれば切りが無かった。

そんな対照的な二社を経験した二年間で、わたしは、自分がはたらくうえで大切にしたい価値観や、どんな環境に身を置けば自分が楽しくはたらけるのか、が少しずつ見えてきた。オンとオフの切り替えは激しすぎない方が好みだったり、チームで働くことの魅力だったり、正解がない仕事をしてみたかったり…

自分の価値観が見えることによって、自然と自分が望む環境や、携わりたいと思う仕事が絞れてきた。まだ着地点は見付けられていないけれど、いつかその着地点を見付け、誰かに報告をした際に、他者の声が入っても、わたしは自分の決断を支えた経験があるから、「それでも大丈夫」と言うことができる、そんな気がしている。

自由は、「自らに由る」「自らを由とする」と書く。そして由は、拠り所の意味を持つ。

わたしは二社の経験を通して、やっと、就活の時はぐらぐらだった自分の価値観を「由(拠り所)」として強く信じることができるようになったと思う。他者の言葉が耳に入りやすい時代に、何度揺らいでも戻ってこれる場所を作ることができた。

自分の中に戻る場所、拠り所ができたことにより、他者の意見や社会通念から解放されて、自らに由った考えのもと、自らを由としながら、はたらくを考えることができるようになったと思う。やっと、ようやく、はたらくを自由に考える、その一歩を踏み出せたように思う。

『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』の中に以下の言葉がある。

ほんとうの自由とは、転がる自分を下から押し上げていくような態度なのです。

誰かの言葉に、社会通念に、自分の意志が転がり、揺らぎ、飲み込まれそうになることが何度もあるが、それでも経験が後ろ支えして、押し上げ、自分のスペースを作れることを知った。これが、自由なんだと知った。

はたらくを自由に考えることができるようになり、はたらくを通して自由を知った、もうすぐ24歳だ。

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