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秋の始まり、気づく真理

夏も終わりに近づき、秋という季節は色々考え事をしてしまう季節らしい。


そんな季節の変わり目の夜、私はある真理に気づいてしまったのである。


「人間は不変に惹かれる」


私はアイドルの推し活が趣味なのだが、まさに彼女等を見ていてそう思う。アニメとかドラマとかに出てくる登場人物に感情移入し、惹かれるのも同じと思う。


目の前には想像上の変わらない人物がいる。しかし、人間本体に着目するとそれ自体は常に変化しているといえる。


例えば、体細胞なんて1ヶ月程度で大体代わる。また、趣味嗜好などの考え方も長い目で見たら意外と変わっていたりするものである。


人間にとって不変であることがいかに難しいか説明するとするならば、日記における三日坊主が多発している事象を考えれば容易だと思う。
誰だって初志貫徹が簡単なら永遠日記が可能であるはず。しかし、そんなの絶対(とは言いきれないかもしれないが…?)ありえない。


つまり、自分にとって困難なため、不変なように見える人物には強い興味関心が寄せられるのだと思う。


資本主義、実力主義の社会においても、評価されるのはコツコツと同じことを続けて努力を積み重ねられる、ある意味不変で変わらないを体現している人物である。


良いとは何か?
人間の身分を分断するという発想が登場した初期、その基準は人間が本来得ていないことを実現できる者を優位に置こうと決められたのではないか。


「人間は不変に惹かれる」


名誉名声を得たいと望むなら、徹底して不変であることに励めばそれらは容易に得られるように思う。


不変は麻薬のように思う。人間本来は可変な動物だからである。*少なくとも今はそう考えられる総意があるように思う。


私たちはあまりにも社会の中で生きすぎた。その事実は自身を相対的な関係値によってしか見出だせず、不変であることに憧れ、自分の可変な部分を楽しめなくなっている可能性に気づかせる。



結局、人間の強欲さ(本来持ってないものを得ようする力)は本能として存在する限り、不変なものへの欲求は止まらないと思う。


それすなわち欲を断ちきることが「しあわせ」か。
安直な結論安っぽい言葉と共に、ひと秋の哲学は終わり、私の思慮はまだ続く。


おわり。



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