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卒論と手を繋ぐ小さなロボット

卒業論文のテーマが決まらない。
そう、これがここ数ヶ月間、さらには、今後半年間は私の頭を悩ませるであろう、今世紀最悪の悩みの種である。


何がこの最悪の状態を産んでしまったのかと、懐古に浸り考えてみると、研究室選びを計画性もなく選択したことに責があるように思う。今考えたら本当に意味が分からないが、あの頃の私は、研究室選びにおいて、何をするのかという情報を全く考慮に入れず、ただ人気そうな研究室を志望していたのだ。あの頃の自分許すまじ。


その結果、今の私はコンピュータサイエンスという(訳の全く分からない訳ではないが概ねよく分かっていない)学問を学ばなければいけない羽目になった。


現状に至るまでの思い出したくもない経緯の説明はさておき、卒論のテーマが決まらないという現問題に向き合おうと思う。


まず、決まらないとは何なのかということだ。そんなのテキトーに決めるか、教授に相談すれば解決しそうな話である。私にもそう思っていた時期があった(なつかしい)。


しかし、現実はそう甘くはなかった。まず、教授に聞いても具体的なアドバイスは返ってこないのだ。さらには、毎週1回卒論の案を皆の前でプレゼンさせられるのだが、否定の嵐である。無論、私自身もクオリティの低い提案をしているという自覚は多少なりともあるため、声を大にして向こうの非を責めることはできないのが悔しい。しかし、もう少し優しくてもいいのではないかとは思う。


少々愚痴っぽくなってしまい気を害する読者の方もいるかもしれないため、話を変える。


私の学んでいるコンピュータサイエンスとは、私なりの解釈で言うと、パソコンを使って、世の中を便利にしていこうという学問である。研究テーマとしては、何かを判別したり、変換したりするAIを自ら作るというのが定番であるらしい。


奴らAIは膨大なデータを元に、色んなことをやってのける。つまりは究極的帰納思考法を身につけていると言える。過去の体験を元にそこから推測するのが別格に長けているのだ。


ならば、私は逆をゆきたい。だって所詮2進数の羅列である奴らに負けたような気のするのは悔しい気がするからだ!


でも、逆とは何か?インプットを増やすでは、奴らが強い。演繹的に確固たる信念を築きあげたい所だが、所詮、人間の脳の性質上それは過去を参照したものにしかならない気もする。


奴らが苦手なこと、、そう!今を見ることだ。多分。できるだけ過去の記憶のフィルターに囚われることなく、今を見る。で、で?


ありのままの現実を吟味し、取るに足らない僅かな事柄から思いを巡らせ、ゆっくり考え抜くことで、突発的に思いもよらない考えが浮かぶのではないか(分かりにくい)


私はAIが苦手だ。まあ、半分は研究室の教授の影響もある。でも、奴らは完全に人間の能力では不可能なことも実現できる。そう、私は変化が怖いのかもしれない。怖いのだ、なにか突然、今まで人間らしさとされていた価値観が全て覆るような、そんな予感がするから。

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