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「きが」って何ですか

自分もまた子どもだった。ものを知らない、というのは、子どもにとって恥ずかしいことではない。大人もまた、たいして知っているわけではないのだから。
 
だが、知る・知らない、については、当人の経験というものが大きく関与している。たとえば住環境についても、マンション暮らしをしていたら「縁側」も分からないし、「軒下」というものが何なのか、知らないかもしれない。福岡では、トタン屋根の小屋でもなければ、「氷柱」を見たこともないだろうし、アスファルトの道路しか歩かなければ「霜柱」を踏んだこともあるまい。そもそも水たまりの水が凍っている、という場面にも出合わないのではないかと思われる。福岡の話である。
 
学習塾では、成績によりクラスが分かれている。中一とはいえ、成績優秀な子どもたちが集まるクラスでは、授業にも活気がある。打てば返すとでもいう程度ではない、打てば何倍もの反応が襲ってくるということもあるのだ。やる気がどうのなどという話をする必要はなく、事象そのものを話題として、ふんだんに語ることができるのだ。
 
国語の授業だった。言葉を増やすことを大切にしている私は、文章に出てきた言葉の意味を質問させることがある。その成績上位のクラスでも、抽象的な語の場合は、なんとなくは分かっても、説明ができないこともある。いま使った「抽象的」という語もそうである。そういう説明は、授業をした甲斐があるというものだ。
 
だが、とりわけ優秀な生徒から、こんな声が出た。「『きが』って何ですか」
 
その文章には平仮名で書いてあった。だが、たとえ平仮名でも、文脈から、それが「飢餓」のことであると、大人ならば一目で分かる。しかし、当人は本当に全く見当がつかないようであった。普通なら、周りの誰かが、「それは……」と口を出すはずの場面でもあったのだが、教室中、しんとしている。この情況は、誰も確信をもてていない、ということを意味した。
 
私が説明をしても、皆黙って聞いていた。「ああね」というふうでもなかった。「へえ」という空気であったし、もっと言えば、完全に他所事であった。
 
「飢餓」ということについて、感覚がないのだ。そういえば、「飢饉」もそうであった。実感がないのだ。
 
もちろん、私も人生の中で特に経験があるわけではない。お金がなくて学生時代に貧しい食生活をしていたのは事実だが、飢餓状態に陥ったことはない。そうはならないように、なんとかしていた。だから、いまも世界の各地で痩せ細った人々が飢餓状態にあることについて、当事者感覚をもっているなどとは、口が裂けても言えない。
 
けれども、それが何であるのか、ということについての見聞はある。本や映像という間接的な手段ではあっても、とりあえずの知識はある。
 
それが、たんなる語彙としてでも、年齢のわりには物事を非常に知っている生徒たちであっても、思いもよらなかったようなのである。
 
いったい、私たちは何を知っているというのだろう。自分の都合の好いことばかりを自分の机の上に並べて、これで自分はなんでも知っている、とニヤニヤしているだけなのではないだろうか。
 
能登半島地震の写真集を購入した。地元の北國新聞のものを選んだ。単に私がテレビを見ていないから知らなかっただけなのかもしれないが、よく報道される写真や映像には出てこない、被害状況の写真がそこに次々と現れて驚愕した。私は「そんなことも知らなかったのか」と、誰かに言われたような気がした。
 
当事者でなければ、他人事として知らないこと、気づかないことがある。できるだけ、せめて気づきたい、とは考えていても、そもそも気づいていないから気づいていないのであって、知らないことは知らないままなのだ。
 
気づくべきことに、気づかない。知っておくべきことを、知らない。それは私の姿だ。そして、他人はどうしてああも気づかないのか、と嘆いている。あるいは、嗤っている。これを「不知の自覚」だなどと言って、また自分を褒めようとしている場合ではない。自分を褒める自己愛、あるいは自己顕示欲、そうしたものを逃れる術はないものだろうか。

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