見出し画像

信頼

コーヒー豆を、月に一度以上は買うのが道楽のひとつだ。高校生のころからの習慣だし、大学生となってからは、マンデリン一筋と言っていい。
 
ファディで買うことが多かったのは、価格の安さからである。だがその日、自分は安いから買っているのではない、ということを知らされた。
 
レジでの支払いが終わると、レシートを一応見る習慣にしている。すると、コーヒー豆の100gあたりの単価が、書かれてあった表示と異なることに気がついた。44円が異なり、それに税も付いている。店員に問うてみると、担当者のところに行ってから戻って来て言うことには、表示が間違っていたのだそうだ。あれは昨日までのセール価格で、今日からは異なるのだが、昨日のままになっていた、というのである。
 
私が買ったのは午後3時。するともう半日も、間違った表示をしていたことになる。信じられないほどの怠慢だが、そのこと自体を咎めるつもりはない。問題は、その後の店の対応である。
 
店員はまず、差額を現金で返そうと提案した。クレジットカードでキャンセルするのが面倒なことは私も知っている。だが、それだと店は、安い価格を表示していながら、客に高く売ったことになる。それは記録に残るものではないが、事実としてこちらの手元に残ることになる。そういうのは嫌だと思ったので、私は、クレジットカードで買いもしなかった分を支払うのもどうかと思い、断った。そして、もし表示されていたままの額ならばそのまま買いますが、と言ったが、スルーされた。これで私の気持ちは冷めた。何かが切れた。
 
それで、コーヒー豆を買うことそのものをキャンセルすると告げた。その店員はレジ打ちだけしかできないのだろう。カード支払いのキャンセルのために奥から手続きに詳しい店員を呼んできた。もう一度、クレジットカードでのキャンセルかと先ほどの店員が念を押す。面倒なことになるからだろうと思われるし、もしかすると思い直すかと考えたかもしれないが、先ほど申し上げたとおりだとだけ私は答え、さらに私は再び、表示されていた価格ならばキャンセルしないと言ったが、これに対してはなんの返答も反応もなく、ただ無視された。価格は決して変えないらしいし、客の(私は他の店の経験からして常識的だと思っていたが)提案を考慮する気はさらさらなかったようだ。それにしても、返答くらいはしてほしかった。
 
私がマイバッグに入れた他の商品を全部また出すという。キャンセルをしてまた改めて読み直すのだという。そのシステムも私は知っている。こうしたことは何度か経験しているからだ(つまり買った後レシートを必ず見るというだけのこと、それにPOS登録が間違ってこちらが損をしても、もう面倒なので黙っていることもある)。私はただてれっと長々待つだけだったが、店員は、口ではすみませんでしたと言うものの、こちらの申し出を全く聞くつもりはなく、極めて一方的な対応だった。そもそも別に怒っていたわけではないので、もしも表示していた通りの価格で買えたなら、私は何の違和感も覚えなかっただろうと思う。そのつもりで注文したのだから。
 
だが、ここで思い返すことがあった。たとえばホームセンターのナフコでも同様のことがあった。少し事情が違うが、ややこしいので詳説は割愛する。ナフコの場合は、正しい価格や表示を調べる時間、客を待たせたということを鑑みてか、安い価格でその商品を売るという措置をとった。これは実は千円くらい違ったのだが、店が表示していたミスと、客に手間をかけさせたという事情とで、これは当然のことであったとは思うが、潔かった。店はいわば損をしたことになる。だが、このナフコの対応は、逆に客の信頼を勝ち取るものだった。以後も気持ちよく買い物をさせて戴いている。
 
だがファディの場合、そういう配慮はなかった。店のミスのために、ご丁寧に取消から打ち直しまでして結局もたらされたものは、冷たいものをしばらく温いまま放置する客の私の損害だけだった。
 
私は別に憤っていたわけではない。ひたすら冷静に、ここはどういう対応をする店なのかを観察していた。ただ、どうして自分はここで厳しい気持ちになっているのだろうと分析することも試みていた。やがて、気がついた。
 
私は、この店に対して、信頼をもてなくなっていたのだ。
 
このような対応が店の当然のマニュアルだとすると、店の表示が間違っていたら、客の時間をただ奪うという結果しか残らないということだったわけである。ミスで迷惑をかけた点で、普通の店は、その間違えていた安い価格で提供するのが常識である。少なくともそのような対応をこれまでたいていの店で受けてきた。それは、そのまま間違った表示をしていたら、さらに大きなトラブルを招いたかもしれないわけであるから、誤りを指摘した客に対して、ありがたいという気持ちも隠れていることだろうと思う。だから好対応をしたのはナフコだけのことではない。今はもうないが、かつてダイエーでも、よくしてもらったことがある。但し、よくない対応をしたダイエー店があったのも事実だ。
 
とにかく今回、ファディは、それを提案した客を完全に黙殺して、自らのミスを客の損害だけが残る形にした。これは、店の価格表示に対する信頼がなくなったという、商道徳の上でも最低ラインのことを保てなかったということでもあり、さらにその対応において、店の客に対する姿勢というものも加えて、一切の信頼を失ったということでもあった。私はその足で、別のコーヒー豆店に向かい、そこで会員登録をした。豆は少しだけ高いが、こちらで今後は買おうと決めた。だから私は、安さで買っていたのではないのだな、ということを知ったのである。
 
わずか44円と引き換えに、ファディは客を少なくとも二人、失うことになった。尤も、ファディのように大きな店だと、二人の客がいなくなるくらい、痛くも痒くもないだろうが、長く贔屓にしていただけに、こちらとしては少し残念には思っている。
 
信頼というものは、なんと大きなものなのだろう。西欧語において、「信頼」は「信仰」と同じ語である。信仰というのは、超越的な存在、また全能なる者との関係である。つまり、「信頼」というのは、絶対的な価値を有する事柄だと理解されていることになる。こうした信頼を失わないように、人と接していきたいと願うばかりである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?