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『哲学するネコ』(左近司祥子・小学館文庫)

私は電子書籍で読んだ。それが入手しやすいのではないかと思われた。
 
25匹のネコを飼う人の綴る、思索交じりの風景。哲学だけを求める人には、ネコの話が邪魔だろう。ネコだけを愛したい人には、哲学の話がうざいだろう。その意味では、中途半端な本である。だが、あいにく私はどちらも好きだ。楽しくて仕方がない。
 
拾ったり、かくまったりして、なんだかんだとネコが増えていく。
 
著者はギリシア哲学研究家。だからネコを見ながら、つい哲学する。哲学的に、ネコのことを見つめてしまうし、考えてしまう。ネコの様子から、哲学を始める。分かる。よく分かる。ネコは不思議な生き物だ。心を読まれているような気がするくらい、じつと見つめてくるし、犬のように従順に従おうという気構えもない。互いに人間であるかのように、そんなつきあいをしているように、思えてしまうことがある。それでいて、甘えてくるときには、こちらの心をくすぐって仕方がない。
 
人間を考察するのが哲学であるならば、ネコは確かに対象ともなるだろう。そうでなくても、ネコとつきあっているだけで、考察させられるのである。
 
そんな私の主観ばかり述べても仕方がない。本書を総括するのは難しいが、サブタイトルの「文学部哲学科教授と25匹のネコの物語」は、さすがに的を外していない。その通りの本だ。
 
ネコたちの紹介と、そこへ至るまでの道、ネコと暮らす日常がたっぷりと述べられる。最初は殆ど哲学の香りがしない。
 
ネコの不妊手術については、考えさせられるところがある。私の通う場所での地域猫たちは、基本的にそれを実施する。それを前提にして、地域に住まうことを許してもらうのだ。また、殺される子猫たちを増やさないためでもある。著者も、飼う猫は同様の考えから施術する。だが、それは人間の身勝手であることや、元来生物に対してしてはならないような行為であることを、自覚している。私もそうだ。確かにそう思う。しかし現状では、これをしなければ、殺される猫が増大するのも事実なのだ。その事実が、たとえ人間の都合によるものであるにせよ、命を生んだところで、その命が無惨に奪われることになるのも本当なのだ。否、「奪われる」のではなくて、人間が「奪う」のであるのだが。
 
第2章に入ると、突然思索が多くなる。ネコを見ながら、人間の思索が始まる。どうやら、ネコが好きであるならば、その哲学的な説明は、たいへん読みやすいらしい。もちろん私から見れば初歩ではあるが、哲学たるもの、慣れない人には何を考えているのか呆れて見ていられない者であるだろう。それを、垣根を低くして、抵抗がないような形で、哲学的思考に入っていくのだから、これもまた流石である。
 
含蓄深い思索ではあるが、なにも哲学を教えようなど構えているわけではない。折に触れ、ちょっと考えてみました、という程度の、気紛れな思索である。
 
最後の章では、病気と死へと道が拓かれていた。これもまた、哲学では必須のアイテムである。それを、ネコの生きる姿を通して描こうとするので、ついほろりときてしまう。
 
真面目なのだか不真面目なのだか、よく分からないような本なのだが、見つめてみれば確かにこれは真面目である。真面目以外の何ものでもない。しかし、読者は、泣き笑いするのだ。ネコが好きである、という前提の読者を想定して言うのではあるが。
 
目次に続いて、「登場者リスト」なるものがある。ネコ一匹ずつ、名前と簡単な紹介がなされていて、これが8頁にわたり続く。読む者に取って、少し恐怖が走る。ひょっとして、これらの名前を覚えなければ、以後読めないのではあるまいか。ドストエフスキーの登場人物が最初に並んでいるが、それを見てぞっとしたときのトラウマがそう思わせるのである。だが、安心して戴きたい、とここでは言っておこう。何も覚えなくても、この物語は読むことが可能だ。一人ひとりの性質を覚えなくても、書き手はその都度必要な情報を提供してくれる。しかし、確かにこの「登場者リスト」を度々見直せば、より生き生きと内容が読めるには違いない。
 
ネコには一人ひとり名前がある。しかし時々登場する三人の自らの娘については、「お助けレディー」の「一号・二号・三号」と呼ばれるに過ぎない。それも名前であるには違いないが、あまりにも無機質的である。これはネコのリストに続く「登場人間」に名を連ねてはいるものの、経歴その他についての情報は、そこには全く書かれていない。実は本書内部では、それなりにちゃんと説明されているから、これはお楽しみということにしておけばいい。それにしても、この呼び名酷いとお思いかもしれないが、本書で名前が出て来たらネコのことだ、という了解にしておくと、実は非常に読みやすい。人らしい名前でも、出て来たらそれはネコのことだ、という認識が簡単にできるからだ。よいアイディアだったと思う。
 
これらのリストを終わりめくると、「ネコこそ本当の哲学者」との題で文章が始まる。まあ、本書は、要するに、そういう本なのである。文庫書き下ろしである。どうぞお楽しみあれ。

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