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『宗教音楽の手引き 皆川達夫セレクション』(樋口隆一監修・日本キリスト教団出版局)

「バロック音楽のたのしみ」をラジオで聞いていた。クラシックを知った頃だった。まだ私も信仰を与えられていなかった。その後、「音楽の泉」も時々耳にした。
 
2020年4月、皆川達夫氏が92歳で亡くなった。Eテレの「こころの時代」で2005年に放送された「皆川達夫 宇宙の音楽(ムジカ)が聴こえる」が再び放送された。
 
音楽史家として、西洋音楽について限りない知識をお持ちである。さらに、日本のキリシタンの歌の研究でも知られる。
 
本書は、皆川氏が遺した業績のうち、一般にも分かりやすいものとして、いくらかまとまったものを提供しようと編集したものである。本書は『家庭の友』に掲載されていたものを集めている。カトリックの雑誌である。皆川氏は、カトリックの洗礼を受けている。
 
どの記事も短く、読みやすい。雑誌の性質から、内容は「宗教音楽」に的を絞っている。教会関係者としては、これは実にうれしい企画である。
 
グレゴリオ聖歌から、その「ポリフォニー音楽」への解説へ進み、そこからバッハの受難曲や「レクイエム」に触れてゆく。キリスト教と音楽についての話題をまとめたかと思うと、様々な角度から、ミサ曲やコラール、教会カンタータから最後にオラトリオを幾度も取り扱う。それぞれ、前回の内容を振り返りつつ、オーバーラップしながら話題が進むのは、連載への配慮であるかもしれないが、より丁寧に内容が伝わってくる。そして何よりも、それぞれの違いが明晰に語られる。素人にとってはまことにありがたい配慮である。音楽についてよく知らない者にとって、これだけきちんと整理され説明されると、今後クラシック音楽について、少し明るい目をもつことができるのではないか、と期待できるようになる。
 
最後の最後には、やはりどうしても触れなければならないとお感じになったのであろう。キリシタンのオラショについての章を設けた。膨大な資料と研究を伴い、熱い思い入れがあるであろうキリシタン音楽について、こんなにも短い記事にまとめるのは、気持ちとしてはありえないほどのものであったと思うのだが、その中にも、ふんだんに引用を設け、生き生きと私たちにその息吹を伝えてくれている。その本当に最期に引用した歌には、思わず涙した。
 
 あー、参ろうやな 参ろうやなあ
 パライゾ(天国)の寺にぞ 参ろうやなあ
 
皆川氏は、93歳を迎える6日前に逝去している。この原稿は、79歳のときのものである。まだまだ書いた後も健在であったのだが、年齢からしても、このオラショを連載の最後に掲げたことは、感慨深かったのではないだろうか。本分の終わりは、こうなっている。
 
 あの極限状況のなかで天国に望みを託した心情を切ないまでに歌いあげています。
 
時折楽譜をも掲載し、資料写真も少しだが載せられている。本としての情報量はさほど多くないかもしれない。だが、心に残ることは間違いない。知識や理解も伴って、宗教音楽についてまとまった財産が与えられるような気がする。
 
できれば、聖書について少しは知識があり、信仰心もあったほうが、読みやすいには違いない。実際そういう読者層のための連載である。だが、こうして出版されてみると、決してそうした閉鎖的な世界における著述ではないことがよく分かる。極めて一般性をもっているのだ。確かに、キリスト教という分野には限られている。だが、その前提さえ受け容れてくれるならば、これは人間と音楽との、魂における出会いを説明した文章の数々であり、クラシック音楽への適切な入門となっていることは確かなのだ。特に、音楽史という観点からすると、これほど簡潔に、分かりやすく、宗教音楽について学べる本はないような気がするのだ。
 
スマートスピーカーがおありだろうか。この本は、一気に読まずに、ちまちま読んだほうがいい。そして、ぜひこれを聴いてほしい、という筆者の言葉を蔑ろにせず、これこれの曲をかけて、とリクエストしてみるといい。あいにく用意されていない曲ももちろんあるが、曲を背景に読むと、実に充実した空間がそこにできるだろう。パソコンであれば、ピンポイントでその演奏に当たることができるかもしれないので、手数を掛ける余力があれば、パソコンで流してみたい。本書の味わい方は、ひとつにはそこにある、とお薦めする。

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