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和解が与えられる希望

8月6日は、昔は小学校の夏休み登校日でもあった。九州にいると、9日のほうが馴染みのある日ではあったし、長崎ではそうなのだろうが、福岡は6日だった。近年は、そうした登校日というものもないようだし、原爆投下を思うということも、ずいぶん昔のことのように思えてしまうかもしれない。21世紀になって、関東大震災をどうリアルに感じるか、ということと比較してみるとよいのではないか。
 
2003年は、8月6日が主日礼拝の日となった。各地の教会が、平和礼拝などという名をつけた形で、平和を考える機会としたように思われる。教会の講壇に招かれたのは、イギリス国教会の司祭である方だった。病院のチャプレンの経験もあるのだというが、そうした経歴とは全く無関係に、聖書から流れるように福音を語ってくださった。
 
説教は、近藤紘子(こうこ)さんの話から始まった。まだ1歳にもならぬときに広島で被爆した。幸運にも特別な被害を受けることなかったが、原爆の跡を見て育つ。原爆を憎み、それを投下した人を憎んだ。だが、後に原爆投下機の副操縦士と会うこととなり、その人を許す。そして、憎むべきは戦争そのものであることを知り、反戦の訴えを含めた活動をしているという。なお、紘子さんの父は谷本清という牧師である。自ら被爆者として苦しみつつも、被爆者を助けるための運動を始め、続ける。いわゆる「ノーモアヒロシマズ運動」の提唱者であるという。
 
平和は与えられている、それが私たちのありがちな受け止め方だ。だが、聖書は、平和をつくる者の幸いを告げている。説教者は、聖書を縦横に説きながら、紘子さんの体験した許しを「和解」として育むかのようにして、説教を淀みなく盛り上げていく。鋭く切り込みながらも、柔らかな女性の声でスムーズに流れていくので、聴く者はいつの間にかそれに載せられて、望ましいところにまで運び届けられていくのを覚えたのではないだろうか。
 
来て、主の業を仰ぎ見よ。
主は驚くべきことをこの地に行われる。
地の果てまで、戦いをやめさせ
弓を砕き、槍を折り、戦車を焼き払われる。(詩編46:9-10)
 
このことを、かつての詩人は見たのだ。魂の目、信仰の目で、それを確かに見たのだ。それを私たちは、イエス・キリストの死と復活を知ることで、見ることになる。私が神と和解を与えられたことを知ることによって、その和解が恐らく神と人全般にも及ぶものであることに、気づかされる。
 
キリストとの出会いが、ひとは新しく変えられる。この言明は、説教者自身がイエス・キリストと出会って変えられた経験をもつときにのみ、こぼれてくるものである。このことが一度も出てこない人を説教者に立てている教会は、早く気づくとよい。尤もらしい言葉をいくらつないでも、経験のないことは、決して生き生きと語ることができないのである。そして、その経験のない人が、いくら聖書の言葉をつないでも、そこには何の命もないのである。
 
神の愛に出会うならば、ひとは内側から変えられる。
 
だから、誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、まさに新しいものが生じたのです。(コリント二5:17)
 
よく持ち出されるこの言葉が、どんなに心の奥から出て来ていることか、それを聞き分けることができるような羊でありたいと願う。
 
説教者にとり、「平和」も重要な概念だが、「和解」もそれと同じように大切なテーマであるらしい。それが自分でつくりだすものではなく、外から与えられる「ギフト」であることが、幾度か強調されていた。「和解」は根本的に「ギフト」なのだ、という。そしてキリスト者は、キリストの「使者」として、その和解の言葉を運び、和解がギフトとして与えられるための務めを果たすのだ、と私たちを励ます。
 
その「和解」というテーマは、説教者独自の体験に基づいているという。イギリス人の夫とイギリスに渡ったその日、その後昭和天皇と称されることになる人が亡くなった。イギリスの各種報道は沸いた。イギリス人が、日本軍に恨みを抱いていたことが明確になったという。この体験から、日英間の和解、それから日韓関係の和解へ、と現実の動きが始まってゆく。
 
説教者は、クワイ河のことに触れた。とたんに、私の頭の中には「クワイ河マーチ」が流れてきた。若い人たちは知らないかもしれない。かつてはテレビの洋画劇場で繰り返し放映されていた。映画「戦場にかける橋」のテーマソングである。1943年、日本軍がタイとビルマ(当時)の間に、鉄道を通すために橋を建設することと決めたが、そのために、捕虜としていたイギリス軍兵士を働かせるのである。しかも、そこには酷い暴力が伴っていた。
 
著者は自身の「和解」の経験を、実際に苦悩した点をさほど大袈裟に出すことなく、しかし大切な点はきちんと伝えようと努めていた。被害者も加害者も、心に「痛み」をもつ。それは、被害者が思いやれ、などという意味ではない。加害者もまた、苦しまねばならないということだ。それなしにサイコパスのような真似をしていては、和解もなければ、希望もない。だが、共に「痛み」をもち嘆くことがあるならば、その先に「希望」が与えられるのではないか。「希望」を抱いてもよいのではないか。
 
そう、そのためには、過去から目を閉ざしてはならない。「荒れ野の40年」の言葉は、いまも生きている。ひとだけでは、どうにもならない事態がある。被害側であれ、加害側であれ、人間だけの世界では解決はできない場合がある。キリスト者には、神がいる。自分を包む、全能の神がいる。自分と向き合う神がいる。その神に、自分の思いをぶつけてよい、とされている。神に向けて嘆くことができる。それを受け止めてくださらないような神ではない。キリストの十字架には、受け止められない苦難などない。イエス・キリストはその意味でも、いつも私たちと共にいるのである。
 
だが、実際に目の前にいる人はどうか。現実に出会うその人と向き合うことは、どうしても必要なのだという。「平和をつくる」とは、大袈裟なことではない。大きなことをなそうと願って妄想する必要はない。目の前のその人と握手ができるかどうか、そこだけに的を絞ってよいのだ。それが必要なのだ。世界平和のために祈ることは誰でもできるが、自分の隣人と握手するということは、誰にでもできることではない。平和は、そういうところからしか生まれないし、それができればよいのである。
 
説教者もまた、元イギリス軍兵士との和解を経験する。それはむしろ相手からもたらされたことで、いよいよ神からのギフトであったのだと噛みしめる。神こそ、憎しみや恨みで心がずたずたの人を、癒やそうと待っているお方なのである。
 
それにしても、現実に、自分たちに憎しみを抱く人に向き合うということは、たいへんな勇気の要ることであろう。この話を聞いているうち、私の中では、改めて淵田美津雄氏のことを思い起こし、ものすごいことだったのだ、と震えるような思いがした。1941年、ハワイの真珠湾攻撃の指揮官であった。アメリカは、他国から本土を攻撃されたことがなかった。近年の同時多発テロでの怒りを私たちは知ったが、真珠湾のときは未曾有の被害として、それに勝るとも劣らぬ怒りを抱いたに違いない。詳しい経緯は触れないが、淵田美津雄氏は戦後、米軍元軍曹だった宣教師のパンフレットを読んだことから、聖書からの救いを体験する。その後間もなく、アメリカで伝道者としての活動を始める。元日本軍人からも命を狙われるまでの目に遭ったこともあるが、なにしろアメリカ人からどう扱われたか、である。やがて認められるのだが、それにしてもその勇気たるや、只事ではないものと私には思われるのである。
 
私などには、とうていそのような大きなことはできない。だがたとえば妻は励まされたという。日々、医療現場で走り回っている。そこでの長としての任を負っている。現場には、決して信徒がいるわけではない。業者とのやりとりから患者からのクレーム、なにもかも矢面に立って責任を負っている。命を預かる仕事だ。何も言い訳はできない。コロナワクチンについても供給からミスの責任など、最初はまともな防御服もない時期から、ずっと緊張の連続だった。おまけに、職場の人間関係にも気を配らねばならない。
 
そこへ、遣わされているのだ。和解の使者として呼び出され、遣わされているのだ。「和解」というからには、「対立」という前提がある。対立物を意識しない仏教的思想であれば、わざわざ「和解」などということは持ち出すことはないかもしれない。だがキリスト教は、現実に「対立」があり「敵対関係」の中に私たちがあるところから出発している。世界には「分断」があり、「分裂」もある。人間は神と明白に「分けられて」いる。
 
そのような現実の「世界」において、イエス・キリストが和解を示したほどに、大きなことはできないにしろ、私には私の小さな「世界」がある。私もまた、そこに派遣されるのだ。また、妻のその「世界」もそうだが、職場においては、いま自分しか遣わされていない、という自覚がある。紛れもなく、今日もまた改めて、「和解の使者」としてそこに立つのだ。そのように呼び出すはたらきを、この説教がなしたというのならば、説教者は、間違いなく命を与える言葉をもたらしたことになるだろう。
 
「平和をつくる」ことは人間には完遂できない。だが、神はある意味ですでにそれを成し遂げた。それを「信仰」し、また「希望」をもって、「愛」という小さな種を、私たちは今日も蒔くことができるはずである。イエス・キリストが共にいることによって。

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