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であいもん

2022年春から始まったテレビアニメでは、『SPY×FAMILY』が際立って注目されているが、じっくり見るタイプの人々から非常に評判がよいのが、『であいもん』だという。京都の和菓子店を舞台に、ひとの心が集まって、美しいハーモニーを呈する物語だ、と一応しておこう。さすがKBS京都(とほぼ同一の神戸のサンテレビ)はテレビ放映しているが、ほかはネット配信ばかりであり、私もその恩恵に与っている。地味な物語であるが、見る目をもつ人は、ちゃんと評価してくれているようだ。
 
ネタバレは起こしたくないのであるが、父親と別れた一果(いちか)という小学生の女の子が、京都の和菓子店「緑松」で養われているところから舞台が設定される。店の主人の息子の和(なごむ)が、ミュージシャンを夢見たが、挫折して実家の和菓子店を継ごうと戻ってくる。だが和菓子ができるというわけではない。一果は彼に反発するが、同じくミュージシャンだった父親の姿を、どこか重ねているような気が、しないでもない。失敗の痛みをもつ和は優しく、明らかにこの一果の父親のように包みこもうとしている様子が伝わってくる。
 
「であいもん」という言葉は、京都ではこんな意味をもつ。本来ばらばらの食材が集まることで、互いの良いところや持ち味が増幅されるかのようにして、新たな良さを醸し出していく様である。一人ひとりはただそれだけであるかのような登場人物が、縁で結ばれた場合もあれば、偶然に出会う場合もあるという中で、互いの味が、良いものに調和されていくものを期待させる物語である。コミックスを読んでいないので、私はストーリーの先行きを知らない。まだ放映も半ばであるから、内容については、これくらいにしておく。とにかく、描かれる心の機微に、笑ったり、しんみりしたり、十分楽しませてもらっている。
 
人の出会い、それはその人を大きく変えるものである。もうこれについては、枚挙に暇がない。哲学史を見ても、師匠との出会いが、時代を変える思想を生み出すきっかけとなりえたし、芸事の世界でも正にそのように、すばらしい芸を生み出すこととなったものである。芸術作品や本に出会って、自分の道を見出すというのは、なにも偉人でなくても、そこかしこにあるドラマではないだろうか。
 
生まれ落ちたからには、自分では選べない、親などの環境がある。だが、それもひとつの出会いだと捉えるならば、その周りの人から影響を受けていく。自分で強く意識しないままに、いつの間にか習い性となるものでもあるが、それを「させられた」感ではなく、出会った感謝として受け止めていけたらよいだろう、とも思う。
 
もちろん、不幸な出会いもあるだろう。環境のよくない中で、苦しい思いをしている人が、多々いることを悲しく思う。思い出したくもない体験を強いられて、そこから逃れられないような辛さを抱えている人もいる。だが、そのような人も、新たな、なにかよい出会いがあれば、と願いたい。
 
自分の心を見つめ、そこに沈潜するということも、大切だ。それなしにいるのは、軽薄な、上滑りな生き方、また流される生き方になってしまいかねない。だが、自分の周りに囲いをつくり、そこから一歩も出ないようなものも、寂しい。風穴があって、新しい世界との出会いがあればいい。自分だけではつくりえなかったものが、新たに生まれることが期待できる。
 
それは、誰とでも付き合いよくやれ、という意味ではない。楽しげに遊び歩くことで気晴らしの毎日を送ることが、究極の孤独を味わう、というような話はよくある。にこにこといい人ぶって慕われることが、何の慰めにもならないのは、古からよく知られたことなのだ。そして、えてしてその真実は、自分自身が一番よく分かっているものだが、なかには、無邪気に自分が人気があり、受け容れられていると思い込むタイプの人もいる。
 
どういうところにいたとしても、キリストとの出会いが、ひとを造りかえることは確かである。出会いは、ひとを変える。神の懐に、逃げ込むのもよい。かくまわれたのなら、それはそれで幸運でもある。だが、少なくとも、聖書の言葉をひとに語るとあらば、造りかえられた経験がなければ、偽りでしかないだろう。もちろん、語られた聖書の言葉そのものに、またそれを聞いたひとを造りかえる力があることについては、私も信頼は寄せる。しかし、それは新たに聞いたひとと神との「であいもん」なのであって、媒介の役割を担わされた者が、もしも神と出会っているのでなければ、そことの関係については何も保証されないことになるだろう。
 
良い人、良い事態に、出会うことを願っている。あなたはその出会いによって、それまでになかった輝きを与えられることだろう。
 
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