『現代思想 10 2023 vol.51-12 特集 スピリチュアリティの現在』(青土社)
時折購入する「現代思想」。多くの人が文章を連ねている。ずいぶんと思い切った論調も好きだ。なにより、世の中のメジャーな宣伝では運ばれてこない、だが非常に重要な視点を提供してくれるところが気に入っている。今回も、特集の「スピリチュアリティ」に惹かれて購入したが、執筆者の中には「占星術研究家」なる人もいて、しかもその文章が非常に面白かった。
オーソドックスに、スピリチュアリティについての背景や歴史を説くもの、また現代社会における問題点を突くもの、といろいろ教えられる。ニューエイジ運動を語るもの、かつて「精神世界」と呼ばれていたものから、どのように「スピリチュアリティ」という呼び方に変わったのか、述べるものもあった。その文章によると、オウム真理教事件がそのきっかけになっているのだという。人を殺めたのみならず、ずいぶん大きな変化をもたらしてしまったものだ。宗教法人の取得も、オウム真理教は大きな影響を与えたのである。
そこで押さえておかなければならない点は、宗教とスピリチュアリティとの関係である。非常に近いところに立っているように見えるそれらだが、スピリチュアリティの世界においては、宗教と同様の、あるいは宗教以上に、神秘的な、精神的あるいは霊的なことがその領域となっている。ただ、宗教団体のような組織を嫌い、まして戒律や強制的なルールといったものは御免被る、というような考え方をする人々が、既成の宗教の枠に入ろうとはしないで、自由に霊を感じ、霊を語り合う、スピリチュアリティにどんどん溶けこんでゆくのだというのである。
それも、そこにビジネスが入り込むということがある。カルト宗教が多額の献金を要求するのは、スピリチュアリティと言えるのかどうか分からないが、スピリチュアリティに入ってゆく人もまた、金に糸目をつけない場合もあるのだろう。
イギリスのコナン・ドイルがそうしたものに熱中していた、というのは有名であるが、イギリスには「心霊主義教会」というものがあることは知らなかった。霊媒活動をしているようなのだ。マイナーなところで、人の心を奪い取る、巧みな方策が、世には渦巻いている。そうした状態への無知が、対策を遅れさせるのかもしれない。いったいキリスト教会は、自らをどのように証しすればよいのだろうか。
私は、感覚的にだが、ヒップホップというものにはあまり肌が合わない。理性においては、それの魅力や必要性は理解しようとは考えている。ただ、本書に収められている一つが、そのヒップホップに関するものであり、その文章に私は感銘を受けた。もちろん単純に黒人と霊性というあたりでまとめようとしてなどいない。しかしそこは、「福音と世界」でもしきりにヒップホップについて連載し、また本も発行している方である。限られた頁の中で、「霊性」についてよく語ってくれたものと感じている。そこには、聖書と霊性のことも書いてあったのだ。「霊」という語が聖書においては「風」であると共に「息」をも表すということは、聖書の常識である。ただ、「霊性とは、息のできないような現実に対して、息を取り戻すための生き方を生じさせるのだ」と告げるとき、私の心にその言葉が厳しく突き刺さってきた。「神の霊によって語られる言葉は新しい世界を創造する」ともいい、それこそが「神の国」なのだ、とも語る。これはひとつの「神の国」像への挑戦である。こうした世界観が、聖書から、ヒップホップを通じて流れ出てくるのである。そして、「ヒップホップは、アメリカ社会に対する異言なのである」と宣言し、この世で実際に生きていくことへの、力強い歩み出しを助けようとするのだった。
最後のほうで、グリーフケアや葬送についての現実と将来が記されていた。悲しみのケアについては、やはり世界全て同様というわけにはゆかず、日本人には日本人のやり方があるとのことだった。尤もである。私たちは、亡くなった人のことを、どのように捉えているのだろう。そして、少子化にも伴うが、「墓じまい」が今後なし崩しに増えていくことが予想されるとなると、どうなるか、経済的な点だけではなく、私たちの心の縁がどうなってゆくのか、問わねばならない、と強く思わされた。
精神と呼ぼうが、スピリチュアリティと呼ぼうが、私たちには「心」呼ぶものが確かにある。宗教組織が今後「教会じまい」をする方向で動いていくことは間違いないけれども、果たして風に揺れる葦のような、時代時代の流行や人々の思いつきだけで、流れていくのであってよいものかどうか、私たちは考えなければならないだろう。様々な角度から、考えさせてくれる本だった。
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