【スペイン文学散歩】いまさらカルメン

スペインを舞台にした作品といえば「カルメン」を思いうかべる人も多いのではないでしょうか。特に、ビゼー作のオペラ「カルメン」は、前奏曲や闘牛士の歌など、どこかで一度は耳にしたことがある有名なメロディーばかり。爽快なシンバルの音や勇ましいリズムが、灼熱の太陽照り付けるスペインを想起させます。

と言いながら、実は私、いままで「カルメン」の原作を読んだこともなければ、映画もオペラも見たことがありませんでした!あまりに有名なため、あらすじを聞きかじって、知ったつもりになっていたのです。もちろん、スペインに住んでいる間に何度もその舞台であるアンダルシア地方には旅行しましたが、セビージャでは「カルメンが働いていたたばこ工場のモデルになった場所です」というガイドさんの説明を知ったかぶりで聞き流していたのみならず、日本から来た友人を案内した際にも「この辺があのカルメンの舞台だよ」とドヤ顔で案内した記憶も…。

今回、たまたま図書館で文庫版「カルメン」を見つけ、意外に薄くて読みやすそうだったので読んだのですが、登場人物も結末も新鮮で(読んだことないので当たり前ですが)、面白くて一気読みしました!

というわけで、今回は備忘録も兼ねて、今さらながら「カルメン」をご紹介したいと思います。ちなみに、原作は19世紀フランスの作家プロスペール・メリメによって書かれたフランス語の小説。正確に言えば「スペインを舞台にしたフランス文学」ですが、当時の外国人の視点から見たスペインが味わえて面白いです。

【あらすじ】 注)ネタバレあり
 
物語は、主人公であるフランス人の学者が、アンダルシア地方に考古学調査に訪れるところから始まる。旅の途中で素性の不明なスペイン人の男と出会い、成り行きで葉巻と軽食を共にすることになるのだが、実はその男は名の知れた悪党ホセ・ナバーロ。連れの案内人が彼を警察に引き渡そうとするのを、主人公は食事を共にした仲であるという理由で男を逃してやることにする。後日、コルドバに滞在中の主人公は、たまたま出会ったロマの美しい女性カルメンと親しくなり、彼女に占いをお願いしたのだが、そこに入ってきたのはなんと先日逃してやったホセ・ナバーロで、二人はただならぬ仲であることがわかる。実は金品狙いで主人公に近づいていたカルメンは、まんまと彼の時計を盗んでいたのだが、ナバーロは先日の借りを返すつもりか、主人公がこれ以上カルメンに金品を奪われないよう逃す。数か月後、調査旅行を終えて再びコルドバに立ち寄った主人公は、ホセ・ナバーロが獄中で死刑を待つ身であることを知る。再び葉巻を持って面会に訪れた主人公に、ナバーロは身の上話を語り始める。

 続く第二部は、ホセ・ナバーロ自身が、なぜ自分が死刑に処されるに至ったのか、獄中で主人公に語った回想となる。ナバーラ州エリソンド出身のバスク人の彼は、本名をホセ・リサラベンゴアといい、軍隊に入隊後、セビージャのたばこ工場の警備に立つことになる。そこで、他の女工を切りつけた女性、カルメンを連行する役を任されるのだが、「自分もバスク人だから同胞のよしみで逃がしてほしい」とウソも巧みにバスク語で言い寄ってきたカルメンの脱走を助け、軍隊内で罰を受ける。その後、カルメンにすっかり魅了されてしまったナバーロは、カルメンが誑かそうとしていた上司の中尉を切りつけてしまったため、現場から逃走し、ロマ人の密輸グループの一員として生計を立てることにする。そこでカルメンには「亭主」と呼ぶ仲である男ガルシアがいることを知ったナバーロは、カルメンを自分のものにするため、ガルシアを殺害。さらに、カルメンの自分への気持ちが冷め、闘牛士ルーカスに惚れていることを悟ったナバーロは、ついにカルメンをも殺してしまうのである。

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今回、私はこちらの訳を読みました。

古典と聞くと敬遠してしまいがちですが、この工藤庸子さんの訳はとても読みやすく、カルメンとホセ・ナバーロの会話も生き生きとしています。フランス語の原本を見たことがないので正確にはわかりませんが、作中には、スペイン語の地名や単語がちりばめられているのみならず、ホセ・ナバーロがバスク人という設定であることから、バスク語に関連する内容もあり、さらにロマ人独特の単語や表現も出てきます。訳者泣かせの小説だと思いますが、スペインを舞台にしながら、あえてその中の「バスク民族」と「ロマ民族」という、マイノリティ同士を引き合わせているのがメリメのマニアックさだと感じました。小説として日本語訳でさらっと楽しむもよし、原語が気になったときは、もとになったスペイン語やロマ語の表現を訳注で確かめるもよし。読み方も色々楽しめますし、映像作品でそれぞれの言葉の響きを聞いてみるのも面白いかもしれません。

さて、話はそれますが、カルメンに惚れてしまった男ホセ・ナバーロは、その本名をLizarrabengoaと言い、この名字について、彼を知る修道士は「絶対に発音できない」と言い、ナバーロ自身も「この名だけで私がバスク人であることがわかるでしょう」と述べています。それもそのはず。

国立統計院(INE)の発表によると、スペインで最も人数の多い名字は2021年時点で多い順に
1.ガルシア      (García)
2.ロドリゲス     (Rodríguez)
3.ゴンサレス     (González)
4.フェルナンデス (Fernández)
5.ロペス       (López)
6.マルティネス    (Martínez)
7.サンチェス     (Sánchez)
8.ペレス       (Pérez)
9.ゴメス       (Gómez)
10.マルティン       (Martín)

となっていて、スペインはもちろん、中南米や米国ヒスパニック系の方々の名字としても目にするものがずらりと並んでおり、日本人にも聞き覚えのある名字ばかりと思いますが、ここにはバスク語の名字は一つも含まれていません

ちなみに、-ezで終わる名字が多いのは「~の息子」という語源から派生しているため。 英語の名字に-sonが付くのと似ていますね。
(例)フェルナンド(Fernando)の息子→Fernández

これに対してバスクの名字は、スペイン語とは別系統の言語バスク語(バスク語でEuskeraと呼ばれる)でその一族の出身地の土地の様子を表現しているものが多いそうで、しばしばその名字の長さも話題になります。
ある記事には
Etxebarrietaaltaleorraga
Pagatzaurtunduagoienengoa
Zabalgogeaskoa
Agirregomezkorta
Gorrotxategi
Iñurritegi

といった名字が挙げられていましたが、スペイン語では使われない子音の並び(txe,tza)外来語以外にはあまり使われることのない文字「k」が使われており、前述の名字ランキングトップ10とはかけ離れた音の響きですよね。
 
とはいえ、実はPaís Vasco(バスク州、バスク語でEuskadi)でも、最も多い名字のトップはガルシア、ゴンサレス、フェルナンデス…といったスペイン語の名字で占められており、バスク語の名字Aguirreが登場するのは第20位だそう。スペインでは、父方と母方から名字を一つずつとって、名字を二つ持つのが一般的ですが、バスク州でも両名字ともapellidos castellanos(スペイン語の名字)の人が人口の56%を占め、一方で、両名字ともapellidos euskéricos(バスク語の名字)という人は2割に留まるそうです。もともと、バスクの名字は住んでいる土地の細かい特徴を名字にしていたため、種類が多い上に、各名字をもつ人数が非常に少なく、継承者がいなくなってしまった名字や消滅の危機にある名字も多いのだとか。
 
さて、日本でいちばん多い名字「佐藤」さんは、ざっと計算すると日本全体の人口の約1.5%。これに対してスペインで最多のGarcíaを第一名字にする人は約150万人でスペイン人口の約3%。これを第二名字に持つ人まで含めれば当然もっと多くなるので、スペイン人には同じ苗字の人が多い(名字のバリエーションが日本よりも少ない)という印象を受けることがあるかも。ですが、私たちが「スペインの名字っぽくない」と勝手に除外した名字も、実はバスク語由来の名字かもしれません。

「カルメン」では、ホセ・ナバーロが身の上話を始めるにあたって、まずは自分の本名を誇り高く説明しているのが印象的でしたが、会話の糸口として、名字の由来を聞いてみると面白いかもしれませんね!

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