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「『他者は自分たちのようではない』と知るべき」

他者とは、相手が自分と同じでなくても許すことをあなたが常に学ばなければならない、そんな存在です。それでいいのです。私たちが他者に「こうであってほしい」と望むのはまったくかまわないと私は考えています。それが私たち人間ですから。
私たちは自分のしていることがいいと思っている、だから当然、他の人にも自分たちのようであってほしいと望みます。

しかし加えて、他者が自分たちのようではないことを知って、それを許すレイヤー(層)が必要なのです

   マルクス・ガブリエル(哲学者)

PRESIDENT Online


ドイツ人の哲学者が書いた日本人の記事。

異文化理解は好きだ。自分が外を知ることも、外から見た自分を知ることもおもしろい。


この記事の中でいちばん共感したのが、パーティーのくだり。

私がパーティーに行きたくないと言ったとします。「そうですか、わかりました」。

その後で、日本人の友人から今夜パーティーがあると電話がかかってきます。「あれ? もうお伝えしたけれど、私は出席しません」「そうでしたね、忘れていました」。

でも、今度は別の人からパーティーの件で電話がかかってくる。「もう○○さんにお伝えしたけれど、私は欠席します」「そうでしたか、失礼しました」。

そうしたら今度はドアをノックしてくるのです。「パーティーにいらっしゃいますか?」と。

日本ではこうなる。
結局パーティーに行くことになります。最終的にこちらが降参する。

外国の人も共感するんだろうけど、心底共感する日本人も多いんじゃないかと思う。

パーティーや飲み会が好きな人はあまり思わないのかもしれないけど、そういう場が苦手な私からすると、心底共感するうちの1人。


特に仕事関係の飲み会。

その後の人間関係や仕事のしやすさを考えて、細心の注意を払って、演技も入れつつ、やんわり、でもしっかり断る。「行きたかったのに残念です」なんてリップサービスも付けながら。

業務終了と胸をなでおろしたのもつかの間、別の人たちから立て続けに「今度の飲み会、行かないの?」と言われる。ボロがでないように、一貫した言い訳を繰り返す。

相手も手を変え品を変え、しつこく誘ってくることがあって、最終的に折れることもしばしば。


お互いに行きたくない飲み会で、特にこの攻防が繰り広げられることが多いけど、そうでない時もある。

「絶対楽しいからおいでよ」「あなたと仲良くなりたいからおいでよ」「(仲間外れにしたと思われたくないから)おいでよ」という場合もある。

どれも悪気があってのことではない。むしろ親切で好意的な理由だ。

私たちは自分のしていることがいいと思っている、だから当然、他の人にも自分たちのようであってほしいと望みます。」ということだ。

でも、相手が同じように思うかどうかは別の話だ。

私であれば、お酒の席で必要以上に大声で話しているのは疲れるし、酒の力で人格が変わったような人を見るのも相手にするのも好きじゃない。すぐに恋愛や下品な話になるのを交わすのもめんどくさい。「楽しい」は人それぞれだ。

「仲良くなりたい」とか「仲間外れじゃないよ」というのも、逆に思われるよりはもちろん嬉しいことだけど、距離感というのは人それぞれで、同じ会社の人間だからといって誰とでも距離を縮めすぎるのは好きではない。

だけど、はっきりとそれぞれの理由を伝えるのは角が立つし、ぼんやりと断るしかない。

それなのに、あの手この手で「みんな一緒」にされるのは、失礼な言い方かもしれないけど、心地いいものではない。

ましてや、断ったことによって、人間関係が悪くなったり仕事がしづらくなったりするのは奇妙なことだと思う。


「仕事なら仕方ない」が通用する昔と比べると、今は多少マシになってるんだろうけど、いろんな考えが通用するようになってほしいな。

日本人が日本のことだけを見ていると気づかないけど、こうやって外から見ると、いろんな気づきがあっておもしろい。



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