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「なりたかった自分になるのに、遅すぎるということはない。」

なりたかった自分になるのに、
遅すぎるということはない。
   
ジョージ・エリオット(女性作家)

心を輝かせる名言集


初めてこの言葉を聞いたのは、中学3年生の初日、担任の自己紹介だった。

当時の私は14~15歳だったけど、この言葉に軽い刺激を受けたことは覚えている。

そして中学3年生といえば、私の価値観に影響を与えたのが、この先生と、1人の同級生だった。


その先生は、海外に留学したことがある、女性の英語の先生だった。

留学のせいで同級生より社会人になるのが遅かったことを言っていたのか、別の道に進もうとしてたけど結局中学校の先生になったと言ってたのか思い出せないけど、とにかく自身の経歴を話した後で、「自分のやりたいことをやってほしい。なりたかった自分になるのに、遅すぎるということはないんだよ」と話してくれた。


当時の私は、英語が好きで得意だったから、「海外留学」という言葉に刺激を受けただけかもしれない。

でも、「人生はやり直しがきく」「なりたい自分になれる」という考えとの出会いは初めてで、興味を持ったのは事実。それまでの私は、「自分で自分の道を決める」という意識がなかったんだと思う。


実際に、今の私の足跡を振り返ってみると、短期にはなってしまったけど、1人で海外の語学学校に通うことができた。転職に悩んだ時、「もう年齢的に転職できない」と諦めかけたこともあるけど、ちゃんと進路変更できた。

頭の片隅に、この担任の先生の言葉があった。



そしてもう1人、私にとって強烈なインパクトを与えたのが、当時のクラスメイト。

その子は、スクールカーストでいうと、圧倒的なトップにいた。地毛だったのか染めていたのか分からないけど、髪の毛も明るい色で、当時は校則違反になるような派手なヘアピンなんかをつけていたような女の子。

吹奏楽部の部長を務めていて、目を引く存在だった。

先生たちに対しては、必要最低限の礼節は守るけど、仲良くなって相談するような感じには見えなかった。


でもその子が、雑談のような感じで、例の担任に進路相談をするようになっていた。

中学校を卒業したら、1人でカナダに移住したい」と。

その動機が「英語が好き」とか「海外に行きたい」ではなく、「地元が嫌い」だったのにも驚いたけど、だからといって「移住」という発想に驚いた。

英語は好きだったみたいだけど、得意というわけでもなかった。それなのに、留学ではなく「移住」したいという15歳の女の子。

中学を卒業したらどこかしらの高校に進学することしか選択肢になかった私には、その子がかっこよく見えた。尊敬した。好きになった。

未成年だし、親御さんの考えもあるだろうから、担任としていろいろ調整したんだろうけど、その子の夢を一度も否定することはなく、もちろんバカにすることもなく、落としどころを探ろうとしていた担任のことも尊敬した。

最終的にどうなったか、今どうなっているか分からないけど、少なくとも、高校には進学しなかったようだ。

この同級生がカーストの上にいすぎて接点はほとんど持てなかったけど、話してみたかったな。どうなったか知りたかったな。


私がカナダ好きになったのは、いくつか理由はあるけど、この2人の存在は明らかに大きい。

久々に思い出したら、また2人のかっこよさに感心した。

そんな人たちが、一瞬でも近くにいたことに感謝だ。

またいつかカナダに行きたいな。



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