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「最高の夢は目覚めてる時に見る」

最高の夢は目覚めてる時に見る。
   チャールズ・ギルダーブルー

心に残る偉人たち名言


つまり、ただの夢とか、憧れとか、理想とか、妄想とかではなく、現実として考えるということだろう。


今、ぱっと思い浮かぶのは自分の人生。

「こうだったらいいなぁ」
「こうだったらよかったのになぁ」
という願望はいくらでもある。

頭の中では好き勝手にイメージできる。


そこで、その夢に向かって具体的に行動に移せるのであれば最高だ。

でも、「理想と現実は違う」と諦めて、前に進むことを止めることもある。

私はそうやって簡単に諦めてしまうことが多い。

めんどくさがりな性格も大きい。

被害妄想もあるかもしれない。


特に人と距離を縮めるのが苦手だ。

最近、またアダルトチルドレンというキーワードが出てきてしまって困っている。

これって病気ではないと思うし、そう診断されたわけでもないし、囚われすぎる必要はないと思う。

だから、あまり気にせずにきていた。

でも、最近また「やっぱり自分はそうなのかもしれない」「親しい人を苦しめるだけかもしれない」という思いに囚われている。


夢を見ていた。

なかなかいい夢だ。

しかも現実として見られる夢かもしれないと思えていた。

それなのに、自分で壊そうとしてしまう。

なんでそんなことを口走ってしまうのか、自分でも分からない。

なんで相手を試したり感情的になるように仕向けたりしてしまうのか、自分でも止められない。

何がしたいのか訊かれても答えられない。

自分で自分が分からない。

夢はやっぱり夢のままで、起きている間に見られないのなら、いっそ捨ててしまおうと考えてしまう。

それでさらに訳の分からない理屈で人を傷つける。


私の見る目があるのか、他の人は誰でもそれが当たり前なのか知らないけど、私がこういうアダルトチルドレンの傾向を見せてしまうような相手に、結局いつも救われている。

また、夢を夢のままにするのではなく、現実として夢を見せてくれる。

私もそうなれるんだろうか。

気にしすぎなんだろうか。

その枠に当てはめたほうが自分の気が楽だから、そこへ逃げようとしてるんだろうか。

ネットの記事を見ても、自分が「やっぱりな」と思える記事の、都合のいいところだけ見てるような気もする。


理性的な自分は、アダルトチルドレンにしろ、HSPにしろ、幸せ恐怖症にしろ、病気じゃないし、その型に自分をはめたくないと思っている。

「私はかわいそうだから配慮して」とアピールしたいとは思っていない。

でも、「私が幸せになれないのは仕方ないんだよ」と、自分に対する言い訳を探している自分もいる。


自分のことを大切にしようと思ってくれている人を大切にしたい。

あまのじゃくで、不安定な自分を抑えたい。

いつかできるようになるのかな。


普通がなにかと言われると難しいけど、普通に幸せになりたい。

そうなれると信じて、起きてる時に最高の夢を見よう。

私から離れないでいてくれる人たちには、本当に感謝している。



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