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「人それぞれの気持ちをくんであげる。共感する必要もない。」

「否定しない」には強迫観念がない。人それぞれの価値観を取り入れる取り入れないとは関係なく、その気持ちをくんであげること…。共感する必要もない。
   
東儀秀樹(雅楽演奏家)

心を輝かせる名言集


「相手を否定しない」
「相手の価値観を取り入れるかどうかに関係なく、気持ちを汲む」
「共感する必要はない」

頭では「その通りだな。そうありたいな。」と思うけど、実践しようと思うと、私にはとても難しい。

特に、自分と違う価値観を持った人の「気持ちを汲む」ことと、共感できなければ「共感しなくてもいい」という状態の両立ができない。

私がこの言葉の解釈を間違えているのだろうか。

仮に間違っているにしても、「共感しなくてもいいから、気持ちを汲む」という心を持ちたい。


私は、自分と違う価値観に出会うと、それがポジティブな違いであれば、ちょっとしたことでもnoteや日記に書きたくなるくらいに感動するけど、ネガティブな違いだと、他の人より拒否反応が強いようだ。

いわゆる、「流せない」。
イライラしてしまう。


それでも昔よりは成長しているはず。10代や20代の頃だと、不機嫌になることで相手に拒否反応を示してしまっていた。

ひと通り不快感を示した後、我に返り、今度は自己嫌悪に陥るという自分が情けなくなったので、少しずつ精神的に「流す」ことを鍛えていった。

以前よりは、自分に害のないことであれば、わざわざ「否定しない」という場面は増えたはず。

自分に関係のあることでも、許容範囲は広がっていると思う。「この人はこういうところにこだわりがあるのか。私はそこにはこだわりはないから、譲ってあげよう」とか、「私はここは大事なポイントだと思ってるのに、この人は大事にしているポイントが違うから何かかみ合わないのか」と、一歩引いて状況を把握できるようになってきていると思う。


でもまだまだ修行が足りず、相変わらず他の人よりはイライラの沸点が低い。流せずにモヤモヤしていることが多い。

それを消化できないのは、不満を口にできずに溜め込んでしまうから。

自分の気持ちに蓋をして意識をそらせようとしても、不満の原因がなくなるわけではない。だから、相手を不快にさせず、それでいて自分の思いも素直に伝えるという訓練が必要。

どうしてうまく言葉にして伝えられないかというと、何にイライラしているのか、自分でも言語化できていないことが多いから。

イライラしている時、誰に対して負の感情を持っているのかは分かっても、その人の言動のどこがどう嫌だったのかを分解できずにモヤモヤが続くだけということが多い。


でも、今、少し冷静になって考えてみると、自分の気持ちや価値観を分析できないこともあるんだから、ましてや相手の気持ちや価値観を把握することは難しい。

それに、今や多様性の時代。いろんな価値観が受容されている時代。

それぞれの価値観に「共感」していったらキリがない。結局何を基準にしたらいいのか分からなくなって、ますます自分の価値観をどこに据えたらいいのか分からなくなる。

だから「共感する必要はない」のかもしれない。


どこかに、「相手の価値観に共感しないと、気持ちを汲むことができない」という思い込みがあるけど、それも取っ払ってしまえばいいのか。

そういえば、急に不機嫌になったり不安定になったりする人たちがいるけど、その人たちの頭の中を推理して、周りの人でサポートを試みることがよくある。いろいろ知恵を絞って対策しても、その推理が外れていることもよくある。

大事なのは、相手の考えや価値観や気持ちを正確に把握してそのすべてに共感してあげることではなくて、それを汲み取ろうとする自分の姿勢そのものかもしれない。



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