「もっとも人間的なことは、誰にも恥ずかしい思いをさせないことである」
お互いに思いやりをもって接することができれば、誰もが楽しく幸せに生きられると思う。
でも、「思いやりって何だろう?」と考えてみると、少しふわふわしているなぁと感じていた。
「思いやり」を具体的にすると、
・重たい荷物を運んでいる人の荷物を持つ
・混んでる車内で席を譲る
・道に迷っている人に声をかける
・専門用語を使わずに一般的な言葉で話す
といった行動例が思い浮かぶ。
その根底には「困っている人を助ける」とか「自分が嫌なことは相手にもしない」といった心配りがあると思うけど、ニーチェの言葉を読んで、「相手に恥ずかしい思いをさせない」というのも見落としてはいけない心配りだなと気づいた。
自分が「思いやりが足りてなかったな」と深く反省する時って、相手に恥をかかせていることが多い気がする。
例えば、誰かのミスを指摘する場合、相手の心情に気を配れていないと、正論ばかり言ったり、きつい言葉を使ってしまったり、他の人もいる場面で注意したりしてしまう。
努力や工夫を褒めることを忘れて、足りていないところばかりに目がいってしまうことがある。
すると相手は、「恥ずかしい」という気持ちを強く持ってしまうと思う。
「できないやつだと思われてしまう」「周りの人に仕事ができないというイメージがついてしまう」「努力や工夫の方向性が間違ってたんじゃないか」と恐怖や不安を感じてしまう。
逆の立場だと、自分がそう感じるから。
日本は「恥の文化」だと言われるように、「恥ずかしい」という気持ちのダメージは大きい。
「恥ずかしい」という気持ちが強くなると、怒りや嫉妬に発展して、人を傷つけるだけの強いエネルギーに変わってしまうこともある。
個人的に、人の感情は「怒り」がいちばん強いと思っているけど、「恥ずかしい」もかなり強い感情だと思う。
みんな知っているのに自分だけ教えてもらえなかった時は「恥ずかしい」と感じて、「なんで教えてくれないんだ」という怒りが湧いてくる。
他の人が褒められて、自分だけめったに褒められないと、やはり「恥ずかしい」と思い、褒められる人に嫉妬し、褒めてくれない人に怒りを覚える。
自分だけ叱られる時も同じ現象が起きる。
逆に、あまりに特定の人を褒めすぎても、褒められた人は「他の人に調子に乗ってると思われてしまうんじゃないか」と怖くなってしまう。
それぞれの性格にもよるだろうけど、「他人の身の上や心情に心を配る」という気持ちが欠けていると、相手も幸せじゃないし、そのツケは自分にも返ってくる。
「困っている人を助ける」という、マイナスをゼロやプラスに変える「思いやり」はもちろん大事だけど、「相手の嫌がることをしない」とか「相手に恥ずかしい思いをさせない」という、プラスやゼロをマイナスにしないという「思いやり」もあれば、みんな穏やかに過ごせるんだろうな。
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