「生きる術をもっているあなたはとても素敵な人です。」
再チャレンジできるとしても、私は中学時代を居心地よく過ごせる自信はない。
私はryuchellさんのように自分の個性は自覚していなかったし、社会問題になるほどのいじめは受けなかったものの、中学時代がいちばんおもしろくなかった。
振り返っても、中学生の私は、周りのキラキラしてた子たちのような社会性は持ち合わせていなかった。
いじめとは違う、いわゆるマウンティングというものは、小学生の頃からちらほらあったんだと思う。特におとなしい子たちは下に見られることが多かった。
でも、私はそういうことには無頓着だった。
というより気づいていなかった。
中学校に進むと、スクールカーストが一気に明確化していった。
まさに「自然発生」する。
気づいた時にはカーストができあがっていて、当然ながら私は下にいたんだけど、小学校の時に仲の良かった子も、階層が違えば話せなくなる。
クラスの中では同じグループで二軍の位置づけなのに、部活ではそれぞれ別のグループに属していて、私は三軍、その子は一軍の階層にいるから、部活の時は話してもらえず、クラスでは一緒に行動するという不思議な現象が起こっていた。
中1の時は仲良しグループから外されたくなくて、しがみついてた。中2もそうしてたけど、途中で疲れて、後半は単独行動をした。でも、それはそれで逆に目立ってしまい、中3では二軍寄りの三軍にいた。
振り返ってみても、みんないつの間にそんな社会性を身につけてたんだろうと、感心する。
一軍にいてキラキラして見えていた子たちも、きっと「ちょっとおかしいな」と思うこともあっただろうけど、二軍や三軍に落ちたくなくて努力していたんだろうな。
私は「自分は二軍と三軍の間をウロウロする人生に落ち着いてしまったみたいだ。負け組の人生なのか。」と思っていたけど、ryuchellさんの言うように、学校という閉ざされた世界から外の世界に飛び出すと、波長の合う人と出会えた。
「ここまで理解してくれる人がこの世の中にいたんだ」と思えるほどの人もいるし、「何度でも会って、いろんなテーマで話してみたい」と思える人もいる。
苦しい時代があったからこそ、そういう人に出会えた時の喜びは大きい。
私は、しんどい時を自分なりに試行錯誤して乗り切ってきたんだ。
だから、その先にあった出会いに感謝できる喜びがあるし、奇跡だと思える喜びがある。
あまり軽々しく言えることではないとは思うけど、狭い世界にいるだけだということに気付かずに苦しんでいる人には、いつの日かその出会いにたどり着いてほしいと思う。
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