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「2020年はなかったことにしてほしい」って言うのはもうやめようかな。

「2020年はなかったことにしてほしい。」

NBA界のキングことレブロン・ジェームスがそう発言したのは2020年4月のことだ。新型コロナウイルスのせいで、いきなりのシーズン中断。敬愛する先輩コービー・ブライアントが事故死したせいもあって、さしもののキングも相当凹んでいたようだ。

正直、私も同じ気分だった。2020年は、仕事は減るし、企画はぼつるし、友達に迷惑かけるし、父も亡くすし、最悪だった。何をしても失敗ばかりだった。

1.自主制作映画をお蔵入りに

シナリオセンター時代の仲間と一緒に、昨年末から進めていた自主制作のショートフィルム。1月に撮影して、2月、3月で編集してYOUTUBEに上げるつもりだったが、納品されたものを見たら、想像していたのと大きなギャップがあり、まさかのお蔵入り。「方向性の違い」なんて、バンド内でしか起こらないものだと思っていたが…。脚本だけやって、後の演出・撮影・編集をすべて任せきりにしていたのだが、任せ過ぎだったと反省。主演を務めてくださった格闘家の方には、緊急事態宣言が明けた6月、改めて謝罪に行った。本当に申し訳ないことをした。自分が納得のいくものを作るのは本当に大変だと改めて実感した。

2.「マスクの向こう側」の連載40回で頓挫

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自粛生活にも飽きが出始めていた5月。誰と話してもコロナの話題になるので、いっそ「聞いたことを記事にしてしまえ」ということで「~コロナ前後で世界はどう変わったか~マスクの向こう側」というタイトルのインタビュー記事を始めることに。しかし、なかなかPVは伸びず。やがて緊急事態宣言が解除されて、おそらく忙しくなってきたためだろう。取材の許可も得られなくなってきた。結果、40回であえなく中断。もっとマーケティングをして、正しく運用するべきだったと反省。今の時代は、コンテンツの良し悪しとマーケティングは全く別物だ。

3.ZOOMドラマの脚本を書いたら、LIVE中、事故る

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6月、芸能事務所に所属している友人から「Zoomドラマをやるので、良かったら脚本書いて」と嬉しい依頼が…。初めての経験なので、脚本だけでなく、リハにも参加して、生意気にも意見させてもらった。そして7月、YOUTUBE上で生配信。何事もなく無事にいきますようにと願っていたら、出だしでまさかのハウリング。裏方さんが放送中のYOUTUBEと収録中のZoomを同時に開いていたのが原因らしい。内容自体悪くなかったと思うだけに残念。

4.漫画動画のシナリオを書くが、直前でボツる

6月、高校時代の友達から連絡がきた。YOUTUBEで漫画動画を作っているのだけど「シナリオを書かないか」ということだった。ターゲットは10~20代。「小難しいのはダメ」「分かりやすくて、サクッと行けるヤツ」など、色んな要望を受けながら企画を作って、脚本を書いた。最初は「これいけるよ」なんて言ってたけど、企画に見合ったイラストレーター・演出家がなかなか見つからず、結局、向こう判断でお蔵入りになってしまった。形にならないのは残念だけど、勉強になった。「どこから撮る」「どこで割るか」っていうのは漫画動画だけじゃなくて、漫画の原作にも活かせそう。

5.TCP2020にエントリーするも、相手にされず

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知り合いの演出家のために書き下ろしたが日の目を見なかった『遺骨』という脚本をTCP2020に応募してみたが、箸にも棒にもかからなかった。緊急事態宣言下でわざわざ無人駅まで出向いて撮影してきたのに。。。劇中、「死体を背負う」というシーンがあるのだけど、それがダメだったのかな。「そういうのってリアリティないんですかね?」と葬儀社の人に相談したら、「まずありえません」と言われた。この時勢、リアリティとコンプライアンスは重要だ。もっと気をつけよう。

6.高校時代の雑感帳を書籍にしようとして失敗

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昨年で退官した高校時代の恩師と久しぶりの再会。当時生徒に持ち回りで書かせていた雑感帳が個人情報保護法のせいで「このままだと廃棄しなければならない」とのこと。読み返してみたら懐かしさも手伝って、とても廃棄していいものには思えなかった。そこで編纂して書籍にすることを提案。知り合いの編集者に声をかけたものの「当事者しか面白くない」とつれない返事ばかり。確かに、何て言うのだろうか…ノートとして実際に手にとっていると面白いんだけど、無機質なデータになると身体性を失って面白さは伝わりにくい……結局、書籍化は有耶無耶となり。先生に悪いことをしてしまった。先生、ごめん。

7.テレビ連続ドラマ企画のコンペに挑むも失敗

懇意にしている制作会社のディレクターの方から、「芸能事務所がタレントの売り込みに合わせて提案できるドラマ企画を探している。よかったらやってみる?」と誘いを受ける。「やります!」と即答すると、これまでにストックしていた企画をざっとまとめて紹介。その中から「これとこれが面白そう」とピックアップしてもらうと、今度はそれを掘り下げて、シーズン構成までまとめたものを提出。もし企画が通ったら…とワクワクしていたが、それから早3か月。何の音沙汰もない。この業界ではよくある、本当によくあることなんだけど、反応がないというのはやはり辛いものだ。でも、オリジナル企画を積み上げるのには役立った。だんだん、洗練されてきた。

8.父を家に一度も家に帰してあげられなかった

末期がんのせいで、年明けからずっと病院を転々としていた父。一度くらい自宅に帰してあげたい、そう思って、病院に働きかけ、9月、ようやく了解を得ることができた。家に介護ベッドを借りたり、当日介護タクシーを手配したり…ところが予定していた週に体調が悪化。「連れて行くのは構わないが、帰ってこれないかもしれない」と医師から言われる。でも、このまま帰らなかったら二度と帰る機会はない。でも、苦しむ姿は見たくない。家族で話し合った末、帰宅はとりやめた。父はその後もほとんど意識が戻らず、自分がどこにいて、どういう状態なのかもよく分からないまま亡くなった。あの時、「どっちを選んでも後悔するだろうな」と思ったが、やはり後悔は尽きない。この先も、ずっと抱えていくのだろうか。

今、ふと思いつくだけでも8つ。それ以外にも細々なものまで含めると、2020年は本当に失敗ばっかりだった。

「あなたの成功体験を一つ教えてください」というのは、就職活動における代表的な質問だが、きっと2020年に関しては、何一つ答えられないだろう。自分が何か取り組んだことでこういういいことがあった、というポジティブな印象がこれっぽっちもない。

村上春樹の小説じゃないけど、ある日突然、家にメガホンを持った小人がやってきて、私の耳に「こんだけ失敗して、あんたよく生きてるね!?」って叫ばれてもおかしくない。

ただ、死ななかったのにそれなりに理由があって、一つには家族がいてくれたこと。私がどれだけ外で失敗しても、家の中は何一つ変わらなかった。これは本当に大きかった。勝ち負けを気にしていたら私はたぶん死んでいた。

もうひとつは、一概に失敗=ダメと言うわけでもなかったということ。結果だけ見たら失敗だけど、そのプロセスを見て、別の仕事につながることもあった。たとえば、「マスクの向こう側」の連載を読んで、対談のライティングを任せてくれた人もいた。それとは別に、このnote自体を探し当てて、「舘澤さん頑張ってますね。一緒に仕事しませんか?」と声をかけてくれた人もいた。おかげさまで、どうにか生きながら得ている。感謝。

2021年はどうなるのだろうか

ぶっちゃけ、何一つ分からない。1年前のこの時点で、1年後がどうなっているかなんて正直、考えもしなかったし、たとえ想像したとしても、こんな状態は想像できっこなかった。

・これまでの仕事が8割減って、新しいものに取り組むようになった。
・電車に全く乗らなくなり、1日の大半を家で過ごすようになった。
・外食がなくなった(一人はほぼ皆無)。その分、自炊が多くなった。
・人とほとんど会わなくなり、電話やオンラインで話す頻度が増えた。
・ご飯を食べるのもお風呂に入るのも寝るのも、子どもと一緒になった。

はじめはストレスばかりだったが、今はそれが普通になっている。

思い出すのは「マスクの向こう側」の取材中に聞いた「いい悪いじゃなくて、変化のスピードが早まった」という言葉だ。ストレスがたまったのは、変化についていこうとして、無意識に体内のスピードを上げていたからだと思う。

結局、どんな変化も時間が経てば慣れるわけで、一般道から高速道路に入った時には戸惑いや恐怖があるが、それだって、しばらく走って入れば慣れるのと同じことだ。

10月、半年間の中断を経て、プレイオフを再開したNBAでは、ロサンジェルス・レイカーズが優勝を果たした。歓喜に沸くチームの中心には、レブロン・ジェームスの姿があった。

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「2020年はなかったことにしてほしい」と口にしていた弱気な姿はどこにもなかった。

2021年も、しばらくは、高速運転が続きそうだ。この1年で分かったことは、1年あれば、どこまででもいけるってこと。とりあえず事故って死なないようにだけ気をつけながら、途方もないところを目指そう。

2020年が終わるまであと少し。

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