豪雨前夜#3

その日の気分は彼の性格を因として余り良いものではなかった。

なぜなら、秋生は異性関係については、事あるごとに、田舎者独特の百姓気質ともいうべき邪推癖を発揮し下衆の勘繰りをくりかえす悪癖があった。

それでも、根がジェントルメンかつ八方美人の彼は、それを面と向かっておくびに出すような事で相手に不快な想いをさせてしまうのは彼のちゃちなプライドが許さず、エチケットとしても弁えていた。

だから、言葉にはせず、表面上は和かに、心の内ではどこまでも猜疑心を滾らせるという一段と質の悪い性根は彼特有のものであった。

 秋生は昼近く大学へ出向くと、いつもの様に正門を抜け、食堂へと向かっていた。

この大学というのは、学生の数に比べると敷地が狭すぎ、昼時ともなると立錐の余地もないくらい人で溢れるような、芋洗いといっても差し支えないくらいのものであった。

だから、ただ食堂に行こうとしても人に出会さずに通行する事は困難なのだ。

 その時も常と同じように顔見知りの人間と形ばかりの挨拶を交わしつつ、歩を進めていくと、食堂の入り口の前にテラス風にいかにもブルジョアなファショナブル風の男女2人が、遮る程の陽も当たらぬパラソルの下に置かれた鋳物のテーブルを挟んで真向かいの形で座っていた。いつもなら、そんなものは気に留める事もなく(若干の憧憬の気持ちもありながらも)通り過ぎるのだが、その時は少し状況が違った。

件の匂いが漂っていたのだ。

秋生はすぐと立ち止まりあくまで一瞥するように視線をやると、そこにあの遥が男と向かい合い座っていたのだ。

そして、秋生の視線になど気づく風でもなくひたすらに笑いながら言葉を交わしている。

秋生はそれをみて自分の中に今まで咲いていた何かが散っていくような気がした。その瞬間まで気にも留めなかった風が冷たく感じた。花弁に隠れていた枝が剥き出しになり、亀裂の様になって刺さった。

そのまま食堂へと入っていくと、注文をするでもなく椅子へ腰を掛けた。彼の心に刺さった亀裂は段々と持ち前の悪癖によって憎悪へと変わりつつあるのだった。

 田舎者というのは厄介な物で、自分の価値観を疑う事をしない。そんな風だから、死に損ないの百姓の婆が拵えた根も葉もない作り話さえも事実として広がっていく。その類の話は必ず誰かの不興を買う物なのだ。

そして、その発端は創作者(所詮、読み書きも満足に出来ぬような文盲の田舎者に過ぎないが)の嫉妬や因なき嫌悪感であることが大体である。秋生も御多分に漏れず、しっかりと陰険なドン百姓の気質に染まっていて、真偽など考える事もなく、その手の噂を聞くと直ぐと周りに伝えて周り、その後の事は知らぬ存ぜぬで通すというまるで人間の曲がりきった事をやっていた。

その狡猾な人間が、都会の大学に入った程度の事で変わるはずもなく、今、こうして秋生の髄に染み込んだ悪いものが、きっかけを持って逆流し、筋肉を動かし脳を動かそうとしているのだった。

「とんだ、クソアマだったな。ネコ被りやがって。公衆の面前でランデブー気取りか。まぁそれが大学の安学食のテラスじゃ、相手の男もお里が知れてらぁな。」

鐘の音に似た電子音が鳴り、賑わいがなくなった学食の椅子に腰をかけたまま、秋生は独りごちた。

閑散となって、白帽を被った中年女のまるで無銭飲食者でも見るような視線を感じると、平生はアローンウルフを気取っている癖に根が小心者に出来ているのでポケットを漁り、飲めもしない100円のホットコーヒーを購めた。そして、それを啜る事もせずに、バッグの中からスマートフォンを取り出した。

すると、「橋下くん、4限終わったら5号館の前で待ってます。」とメッセージが画面に表示された。

秋生はそれを一瞥すると手に持ったスマートフォンをバッグの中に投げ入れ、湯気の立つコーヒーを覗き込むようにして頭を抱えた。

はたと立ち上がろうとしてコーヒーカップに口をつけると口に入る冷たく液体が、いつまでも苦くこびり付いた。


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