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『新刊小説の滅亡』に関する雑感。

 これを今年11月11日の文学フリマで経験した。そう、これは単なる印刷された冊子というよりは、文学フリマの中での事象でありその経験だと感じた。
 要するに、現時点においてリアルな書店の数が減少しており、出版物の流通経路、一般消費者と書籍との接点が激減している。それと同時にもちろん、Amazon に代表されるオンライン書店が隆盛している。
 また同時に、文字を書いて発表するための各種ツール、インフラは、これまでにないほどの状況にある。まずPCが安価になって普及している。その状況はWindows95以来十数年続いている。そのPC上で動作するワープロソフトや、IME、またDTPソフトなどもかんたんに手に入る。さらにWeb上に各種ブログサービスがある。Webはまた資料でもあり、調査ツールとしても機能する。
 そしてこれとは別の流れとして、コミケのスキームがある。要するに個人が自らの創作物を印刷物の形にまとめ上げて、リアルな場で不特定多数向けに公表・発売するためのしくみ・お膳立てが揃っているのだ。
 文学フリマはそういう状況にあって、創作物を発表したい人の流れを受け止め、受け取り側=読者に渡すためのしくみとして機能していると思える。
 その中にあっての、『新刊小説の滅亡』である。
 小説自体については、実際に読んでもらうことでしか分からないことがあるので、あえて触れない。それにしてもこれが、このコミケのスキームを使った文学フリマという場で売られていて、それを買うというのは、なんともアイロニカルな経験と言うべきか。
 かつては、小説または書籍を書く人は限られており、それを印刷物にする大小の出版社もまた限られていたはずだ(この辺ちゃんとリサーチすると別のことが出てくるかもだけれど)。さらにそこには編集者や校正者がいて、書籍を書籍たるものにしていた。
 また、そうやってできた出版物を販売する拠点としての書店もたくさんあった。
 だが、書くためのツールが安くなり、書き手も増え、書籍を作るためのツールも安くなった。発表の場としてWebもある。専門の小説投稿サイトはもちろん、無料のBlogなどでも小説は発表できる。
 そしてコミケのスキーム。
 その中にあっての、『新刊小説の滅亡』なのである。
 これは、本編そのものを読むのもさることながら、文学フリマで購入したというのが非常に貴重な経験だったと思える。
 ちなみに、この冊子を編集している仲俣さんという編集者は、かつてソフトバンクから刊行されていた「モービルPC」という雑誌で私を担当してくださった方です。

※ この記事も別途追記するかも。

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