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Kindle翻訳出版体験記

 前回の翻訳テキストの公開から、はや1年近くが経過してしまった。作業の遅さに我ながらあきれかえってしまうが、先日ようやく、翻訳2作目を出せた。このたびは「ベルギーにおける建築の発展 ――ヴィクトル・オルタ氏」というオルタ論を訳した。著者はベルギーの美術批評家サンデル・ピエロンで、初出は1899年号の『装飾芸術評論』誌である。

 書誌やテキストの解説は後述するとして、ここでちょっと、キンドルの自費出版でテキスト(翻訳だけれど)を販売する、ということを初めてやってみて1年近く経過した今の雑感みたいなことを書いてみたい。
 まず単刀直入に申し上げて、売れない。販売したテキストの性質上、飛ぶように売れるなどということはもちろん少しも期待していなかったものの、じっさいまったく売れないと、「ここまで売れないのかー」と、何か感慨深くもなる。わたくしの数少ない友人知人には一応、翻訳テキストをアマゾンで発表してみた旨アナウンスしたのだけれど、まあその、案の定、誰も買わないですよね。そうですよね。やっぱり、短いとはいえ読めば15分くらいは要する量のテキストを、しかも有料で、読んでもらうということのハードルはとてつもなく高いのだと改めて実感した次第だ。たしかに自分だって、翻訳の質も大して担保されていないよく分からないテキストを読むのに、自分の余暇的読書時間の15分を宛てるのはちょっとためらわれるかもしれない。それならもっと他に読みたいテキスト、読み返したいテキスト、読まねばならないテキスト、読み返さねばならないテキストはいくらでもある。訳して発表した自分が言うのも何だが、読まれなくて当然だと思わなくもない。
 といって、しかしながらまったく売れなかったというわけでもなかった。3か月に1回くらい、買って読んでくださる人がいた。またしても、訳して発表した自分が言うのも何だが、一体どんな好事家が読者になってくださったのだろうかと驚きを禁じ得ない。ともかく、テキストの売り上げがあったという表示を目にするたび、襟を正して畏まりたくなるというか、大袈裟な言い方だけれど、厳粛なる気分になった。と同時に、それは今回のオルタ論を訳している最中のことであったりもしたので、この翻訳も頑張ろう、誤訳や誤植のないようにほんとうに気を付けよう、少しでも良い翻訳にしよう、という動機付けになった。正直言って、学会論文を書いているときにはそんな気分になったことはほぼなかった。学会誌に載る論文は基本的に無料で読めるし、同業者が職業的に読むものであるし、どこか冷めた気持ちで論文執筆したものだった。というよりも冷めつつ書く、というスタンスでないと学術論文は書きにくいような気もした。しかしこの度は、自分が日本語にしたテキストを不特定多数の人々に向けて商品として売ったということで、自分がテキストにかける心的負荷の量みたいなものが違った。学術行為と商業行為とで、それを行う自分の心境がここまで異なるものになろうとは思わなかった。何事もじっさいやってみないと分からない。
 と、まるで自分が創り上げた文章を売った人であるかのような口ぶりになってしまったがわたくしがやったのは、他の人が書いたテキストを翻訳して紹介したというだけだ。前回はヴィクトル・シャンピエ。今回はサンデル・ピエロン。両者ともに、わたくしが、ギマールやオルタに関するおもしろいテキストないかな、と思ってネット上の広大無辺な図書館を徘徊しているときにたまたま遭遇しただけである。まさかシャンピエもピエロンも、自分の書いた雑誌記事が21世紀の極東の一国のアマチュア翻訳者によって訳されて再び日の目を、というのは言い過ぎなので、薄らぼんやりした光を当てられることになろうとは夢にも思わなかったろうと思う。もしかするとわたくしが訳さなかったら、彼らのテキストは本邦では、宇宙のような図書館の片隅の書庫の奥の深い闇のなかに永久に埋もれたままになって、無に等しいものになっていたのではなかろうかとも思う。なので、拙訳をきっかけにして本邦の読者が、それまで知らなかったシャンピエやピエロンという人物の書いたものに初めて触れる、という事象が発生するのだとしたらとてもうれしい。わたくしが半ば偶然に発見してたまたま訳した彼らのテキストを、偶然発見した読者がふと読んでみたというような、拙訳がなければ起こり得なかったであろう時空を超えた偶然の出会いが起こるかもしれないと夢想して悦に入ることができた時点で、このたびの翻訳にかけた労力はすでに報われているといえる。ひとは金銭によっては食べてゆけないが、夢想によってなら食べてゆける。
 以上が、アマゾン自費出版翻訳文販売体験感想文である。以下、「ベルギーにおける建築の発展 ――ヴィクトル・オルタ氏」に書いた「まえがき」を転載してこの文章を終えたい。
 と思ったけれど、すでにこの文章だけでまあまあの長さになってしまったので上述の「まえがき」は記事を改めたい。

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