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ギマールに関する、1899年の雑誌記事を翻訳した

 いまはとても便利な時代で、インターネット・アーカイヴやガリカ(フランス国立図書館のアーカイヴ。重いのでリンクは割愛。)といったサイトで、パブリックドメイン入りした昔のテキストを、日本にいながらにしていくらでも読むことができる。時間に余裕があってちょっとした調べ物をするとき、これらのサイトでキーワード検索をすると、埋もれていた、あるいは単に私が知らなかった細かい情報が次々と出土する。昔の人物に関して、その人物の同時代人がこんな評価を下していたのかとか、この雑誌にこんな人物が寄稿していたのかとか、今の時代から見るとマイナーな人物が当時はこんなにも大物として扱われていたのかとか、色々な発見があって楽しい。
 これらの情報は、誰かが発掘しなかったら図書館やネット上の茫洋たる情報の海の底に永久に埋もれたままになって、存在しないに等しいことになるのだろうけれど、そうなってしまうには惜しいものが多々ある。そのようなわけで、情報アーカイヴの深海探索の途上で、自分が面白いと思ったもの、かつ今読んでもそれなりに価値があると思われるテキストを拾い上げて、翻訳して今一度現代にひっぱり上げてみたくなった。
 そこで、最近エクトル・ギマールについてぼんやり調べていた際、『装飾芸術評論』(Revue des Arts Décoratifs)という19世紀末のフランスの文化雑誌に、ギマールを理解するうえで有益と思われる記事を発見したので、この度はそれを訳出してみた。同誌には他にも良質かつ勉強になりそうな記事があったので、今後も訳して発表してみたい。

 ↑↑ 色々と思う所があって、訳文はアマゾン(Kindle)で有料で公開することにした。販売条件の都合上この note で公開できないのが少し残念だけれど、Kindle本は専用電子書籍端末を買わずともアプリで各種媒体で読めるので、ご興味のある方がお読みになってくださったら本当にうれしい。
 以下、訳文に付けた「まえがき」の一部を転載。

 以下に翻訳したのは、ヴィクトル・シャンピエが1899年に『装飾芸術評論』誌に発表した記事、「カステル・ベランジェ」(Victor Champier, « Le Castel Béranger », Revue des Arts Décoratifs, dix-neuvième années, 1899, pp. 1-10.)である。『装飾芸術評論』誌は年1回発行の芸術専門誌で、1880年から1902年までの間で合計22回、刊行された。ヴィクトル・シャンピエ(1851-1929)は同誌の創刊者にして美術史家、評論家でもあった。
 この記事はエクトル・ギマールの代表作、カステル・ベランジェ竣工(1898年)翌年に発表された。シャンピエは、まだ新進の建築家であったギマールの若さ溢れる客気、様式上の新しさを希求する情熱などを、ジャーナリスティックで若干大仰な、とはいえ精彩溢れる筆致で描き出している。シャンピエはまた、カステル・ベランジェ設計以前のギマールの学生時代をも記述しており、ギマールのキャリア形成期についての情報をわれわれに与えてくれる。とりわけ、アール・ヌーヴォーの先駆者ヴィクトル・オルタとの出会いがギマールに与えた決定的な影響、オルタが語った有名なフレーズ(「花ではないのです、私が装飾の要素としてつかまえたいのは。それは茎なのです。」)、そこからギマールが発展させた独自の自然観、美学を記録している点が、この記事の歴史的価値を高めているように思われる。そのため、訳者はこの記事を邦訳してこのたび公開するに至った。

 蛇足だけれど、以下、拙ブログのカステル・ベランジェの記事もご紹介。


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