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ごめんなさい。キミらが望む「コミュニケーション能力」を、私は持ち合わせていないんです。

この歳にしてようやく思い知りました。
私には、日本のビジネス社会が求める「コミュニケーション能力」なるものが、全くないか著しく欠けているということに。
そして、そういう自分で生きていくしかなく、そういう自分で生きてもいいんだと居直るしかないことに。

一対一で会話する力ぐらいはあります(昔はこれすら自信0%でしたが、今は「状況と話題によっては」人並み以上のスキルを発揮できると思っています)。
しかし、複数の人間を相手に、それらをそれなり以上に満足させるような能力は持ち合わせていません。
しかも「暗黙の了解」的なものを相手にするのは最も苦手です。

「そんなこと聞いていません」
「いや、*年ここにいりゃ、それぐらい言わなくてもわかるだろJK」

あのね、その「JK(常識で考えろ)」がこちとら解んないから困ってるんですけども。
勇ましいビジネス本だと、そういう「暗黙の了解」を読み取ることがデキるビジネスパーソンの必須条件だ、みたいに書いてあってですね。もうそれを読むだけで「ああオレ社会人失格、回線切って首吊って」みたいな心境になるわけですが。

どうしてそうなったんだと、過去をほじくり返すのは、此の期に及んでは無意味なのでやめておきます。むしろ「こんな自分でも幸せに生きられるにはどうしたらいいか」........あれ?

「どうしたらいいか」の答えを求めて、万能のHow-Toを求めて、もがき苦しんできたのが、30代半ばからの十数年じゃなかったのか。
そこで得たことも多かったけど、結局オレは幸せになれただろうか。

そもそも論で「幸せに生きる」の定義をしなきゃいけないところですが、それはそれ、また別のタイミングで改めて。「コミュニケーション能力」についても、またいずれ。

ひょっとして、「なれるはずのないものになろうとして、無駄な苦労を重ねただけじゃなかったのか」。
それは「幸せ」へと自分を導いてくれただろうか。

Yesと言えるなら、こんな文章は書いていません(!)
自分の外に「幸せ」や「有能さ」の基準を求め、合わせられるはずもないのにそれに合わせようとして、結局自滅する。その繰り返しでしたので。

もう50年も人間やってきたのだから、もう「こうにしかなれない」自分を自覚して、それを生かして、そんな自分でも受け入れられる場を見つけるか作り出して、生きていくしかないのかもしれない。

キミらが求めるものを私は出せないが、私はキミらが出せないものを出すことで、この人生を幸せに生きることにする。
人生の早い段階で(自覚的にでも、無自覚的にでも)そう居直れた人ほど、人よりも早く/速く「幸せ」を手に入れているのだと思います。

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