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#49 法と道徳、などなど(自分の研究分野について)

1月14日。木曜日。木曜は、バイトしとると1日が終わる。今日もそんな感じだった。

そんな今日は、【法と道徳、などなど】ということで。たまには、研究内容の紹介的なこともしてみたいと思います。簡単に。簡単にと思ったけど、割と長くなってしまった。

今日の記録

10時半、起床。朝食、フルグラ。11時から心理学の実験バイト。いそいそと出発。

VRゴーグルをつけて、なんかテストに答えるという実験。VRが体験できるということでウキウキだったのだが、きれいな映像などは見られず、ひたすら色彩が反転するサイコな世界観を40分見させられた。つらかった。何の実験なのか。ポリゴンショックでも再現しようとしているのかもしれない。

13時から、再び別のバイト。らららライターのバイト。相変わらずしんどい。多分、次に書く記事を最後に辞めるのではないかと思う。まだわからんけども。

18時、バイト終わり。夕飯、魚定食。その後、またバイト。ベジ系のお店を調べて、ひたすらデータベースに登録するバイト。今日はバイト尽くしだな。お寺の「精進料理」を登録しまくった。

行きつけのTully's、いつもなら22時まで営業しているのだが、今日は20時で閉まってしまった。それだけ例のウィルスが流行っているということか。

法と道徳、などなど(自身の研究について)

(4000字ぐらい)

今日は自分の研究の話。一応、僕は大学院生であるので、日々研究というものをしている。

研究とはなんぞやというと、僕なりに説明すれば、何かテーマを決めて、それについての問いを立てて、その問いを検証していく、というものだと思う。理系ならば実験を通じてその検証を行っていくと思うが、僕は文系なので、ひたすら文献を読むという形でそれを行っている。

今日はそうした、研究についての話。僕の場合、①研究テーマは「法と道徳」となっている。②そこでの問いというのは、「”法”というのは、何か特定の道徳を表明するもの、あるいは表明するべきものであるのか.....もしそうだとしたら、その理由や正当化根拠は何か」である。
で、③どうやって検証していくかといえば、「その辺についての先行研究を概観し、比較し、何か納得のいく回答を出す」ということになると思う。至極曖昧だけれど、まあそれはしょうがない。

②の問いについてもう少し具体的にすると、次のような感じ。すなわち、「他者に危害を与えないような行為について、それを『不道徳である』だとか『私たちの社会の価値観に反する』だとかの理由で、法によって禁止する(あるいは認めない)ということが正当化されるのか。仮にされるとしたら、その理由は何か」ということになる。長えよって思って読み飛ばした人、頑張って書いているのでちゃんと読んでください。

この問いの典型的な事例としては、同性婚の議論がある。ので、今日は同性婚の話を中心にします。

日本では知っての通り、同性同士が婚姻関係を結ぶことは、法律では認められていない(同性パートナーシップなどの制度で、行政が認めるということはある)。なぜ同性同士に結婚が認められないかというと、国の言い分を引っ張ってくると、同性婚は憲法上「想定されていない」から、ということになるらしい。というのも、憲法24条は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」としているので、異性愛が前提とされており、同性同士の結婚というのは、制度の想定の範囲外ということになる(ソース)。もう少し突っ込むと、「現行法規上想定されていないので、それを認めないとしても別に問題ない」ということになるだろう。

といっても、「制度上想定されていない」というのはどちらかというとテクニカルな話であって、もう少し実際的な理由もあると思う。すなわち、何らかの理由で「それを認めたくない」ということがあるはずである。実際、保守の論客で憲法の想定云々を持ち出す人はあんまりいない。彼らが持ち出すのはもっと、「同性婚そのものの問題」のようなものである。例を挙げると、

① 同性婚を認めることは、人口減少などの社会的害をもたらす
② 同性同士の結婚は、日本の伝統的な「結婚」の価値観に反する
③ 同性同士で一緒にいるのは構わないが、何もそれを「婚姻」関係として認める必要はない(婚姻は異性に限ればよい)
④ 同性愛は多数派の感情に反するものであり、それを法によって制度化するのは間違っている(日本社会の多数派は同性愛を「不道徳」「奇異なもの」と感じており、そうした多数派の感情に反するものを、法によって制度化するべきではない)

などなど。もちろん、ここで挙げたものがすべてではなく、もっと多種多様な主張があるとは思う。けれども、同性婚法制化への反対理由は、だいたい上で挙げた4つ(と、制度的に想定されていないという国の言い分)に収斂されるのではないかと思う。もう少し簡単にまとめると、次のような感じ。

① 同性婚は、実際的な社会的害をもたらす(少子化など)
② 同性婚は、我々の文化や価値観に反する
…我々の社会の文化・価値観に反するものを法制化することは間違っている
③ 同性愛は、「婚姻」という制度が称える価値に反する(ので、婚姻は異性に限っても問題はない)
④ 同性婚は、多数派の感情に反する
…多数派の感情に反するものを法制化することは間違っている

というもの。他にも、わざわざそれを法制化してしまうと、「結婚しなければならない」という価値観を押しつけることになるのでよくない、という意見もある(これは同性愛者の側から出されたりする)。

対して、同性婚の法制化に賛成側(要求側)からは、次のようなことが言われがちである。第一に、同性愛者も異性愛者と同様、婚姻関係を結ぶ「権利」を持つということ。すなわち、「愛の対象が同性である」という理由だけで、差別的に扱うのはおかしいという話。
他の賛成論として、同性婚が法制化されたところで、誰にも危害を与えないということがあると思う。大事なことなのでもう一回言うと、同性婚が法制化されたところで、誰にも危害を与えないということがあると思う。例えば、同性婚が法制化されたとして、同性婚の内部の者(同性愛者)にとっては権利が認められて嬉しいということになるし(もちろん、内部での反対意見もあるのだが今は無視)、外部の者(異性愛者)にとっては、何かとりたてて危害が加えられるだとか、損を被るということはない。同性婚が認められたとしても、それで危害を受ける人間はいないはずだという話。

だから、同性婚賛成者からすれば、上の4類型には次のように反論できる。

① 同性婚は、実際的な社会的害がもたらす
そんな証拠はどこにもありません(あるなら出してください)

② 我々の文化や価値観に反する
→同性婚の法制化は、誰にも「危害」は与えない。そして我々にも婚姻の「権利」が認められる。それを社会の文化だとか価値観を持ち出して抑圧することは間違っている。

③「婚姻」という制度が称える価値に反する
→婚姻というのは、愛し合っている二者の関係を社会的に承認するという制度である。そこに異性/同性の区別をもたらすことは間違っている(同性愛も婚姻の称える価値に該当する)

④ 多数派の感情に反する
→同性婚の法制化は、誰にも「危害」は与えていない。そして我々にも婚姻の「権利」が認められる。それを多数派の感情だとかで侵害することは許されない(魔女狩りを正当化する気か?)

大体こんな感じというか、ちょっと大雑把に書きすぎだけど、多分そんなに間違っていないと思う。ただ、もちろんこの辺については指摘したい点とかあるだろうと思うので、それらはぜひコメント欄にお願いします。

で、僕の研究の関心というのは、主に②と④にある(①と③にもあるんだけれど)。すなわち、我々の文化・価値観に反するものを、法によって認めない(禁止する)というのは、正当化されないことであるのか、どうか。あるいは、人々の持つ「権利」というのは、法をして「社会の多数派の感情」を無視させるほど、重みのあるものであるのか、ということ。もっといえば、民主主義社会に生きる我々が、自分たちの「価値観」「道徳」を法によって表明できないとすれば、その理由は何かというものになる。これは20cのイギリスの裁判官Patrick Devlinが主に主張したことであるので、僕はこの人を軸として研究を行なっている。

本当はもっと色々書きたいのだが、長くなってきたので、この辺で一区切りしたいと思う。これで全部を論じたということは全然なく、上で僕が太字にした部分(民主主義社会に 〜)については、色々反論だとか説明だとかはできると思う。のだが、やり始めるときりがないので、ひとまず今日はこの辺で。

僕の研究分野の関心が分かっていただければ、それで今日は満足である。

ちなみに、同性婚以外にも問題を広げると、夫婦別姓訴訟・マイノリティ(移民やLGBTQ)の権利承認などの話も視野に入ってくる。さらに広げると、未成年飲酒・ドラッグの使用・不倫など、他者に直接的な危害を与えないけれど、法によって禁止されているものなども入ってくる(不倫は法によって禁止されていないが、民法において離婚の要件を構成するという点で、法の問題には絡んでくる)。

はい。僕の研究については、こんな具合です。いわゆる法哲学と呼ばれる分野で、「そもそも法ってどういうものなの?」とか「法によって禁止するべきものって何?」だとか、あるいはもう「法って何のために存在しているの?」というのを、日々検討・研究しています。どうだ、面白そうだろう。面白そうだと思ったら、「法哲学」の扉を叩いてみるべし。

自身の研究をnoteに書いている人などを見かけたので、つられて僕もやってみました。普段から考えていることではあったけれど、それを文字にして起こすというのは、やっぱりいいことだと思いました。今日はそんな感じです。


*もう一度だけ書くと、今日書いた内容で同性婚法制化の論点をすべて網羅しているとは思っていないです。ただ、「こうした論点もあるんじゃないか」というのがあれば、ぜひコメント欄で指摘していただきたいです。単に「書いていない」だけでなく「そもそも気づいていない」ということもあると思うゆえ、、、


<参考・関連サイト/文献>

現在、同性婚法制化についての訴訟は起こされている真っ只中。3月に一度判決が出るらしい。↑を参照

↑「同性婚賛成側」の主張が拾いやすい。

↑これも、「同性婚賛成」側の主張が拾いやすかった。読むべし。

↑ヤフーニュースの記事はいつの世も便利だ

↑こういうニュースに関心を引かれる、読むべし

↑「同性婚への反対意見」は、こういう記事でちまちま拾っている(それ以外は、自分で「こういうこと言えるかもな」と思ったものなど)

↑同性婚法制化の話がまとめられている論文。「同性愛者の内部でも、同性婚に反対する人はいる」などの話はこちらを参照(全部は拾えてないけど)。

↑購入したのだが、まだ読んでいない本。これを読んでいれば、今回ももう少しマシな議論ができたと思う。読みます。

↑今日紹介したパトリック・デブリンの伝記。まだ買えていないけど、早く買いたい。

↑今日の話(法哲学)面白そうだなと思った人は、こちらなどを読むべし。ジャスト法哲学の話ではないけれど、今日のところには関係あり。

わざわざ「埋め込み」にすると、返って見にくかったかもしれない。反省。


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↑サイモン・リー著、加茂直樹訳(1992)『法と道徳』世界思想社。アメリカで大学1年生に向けて書かれた入門書。内容は平易過ぎて少し物足りないが、今日の内容に大変関連あり。あと、議論が明快で面白い。読むべし。


以上。夜も遅いので、寝ます。さようなら。